今日のみ言葉【No.1774】(2018年 6月 9日)「 神の祝福を受けるための訓練『愛の視点』(2)」

神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。
(創世記1:31)

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古株の悪魔が引退を決意し、今まで人を陥れるのに使っていた武器を処分しようとセールを開いたそうです。

「憎しみ」「欲情」「高慢」「偽善」等々、それぞれに値札がついています。

その中で群を抜いて高値がついていた武器があります。

それは「落胆」(おちこみ)でした。

客の一人の若手の悪魔が尋ねました。

「どうしてこれだけ高いのですか?」

すると古株の悪魔はこう答えました。

「オレの現役時代いちばん役に立った武器だったのさ。他の武器を全部繰り出してもこの武器一つにかなわない。その秘密はねえ、……人間には絶対言うなよ……、ほとんど誰もが、これがオレのものだって、これっぽっちも思わないからさ」
(『落ち込んだら 正教会司祭の処方箋171』、アントニー・M・コニアリス著、松島雄一訳、株式会社ヨベル、P54)

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これは寓話ですが、現代医学の認知療法は人が落ち込み、落胆し、「うつ」になるからくりを明らかにしています。

そのひとつに「双眼鏡の論理」というものがあります。

他人の良い面や自分の悪い面が過剰に大きく見え、反対に他人の悪い面や自分の良い面が過剰に小さく見える傾向です。

たとえば、料理が上手でよく家族からほめられるのに、

「隣の奥さんは掃除好きなのに、自分は掃除が苦手だからだめな主婦だと自分を責める」

ということです。

悪いことだけ双眼鏡で大きく見え、良い事はその双眼鏡を反対にして見るので小さく遠く見えてしまいます。

先ほどの古株の悪魔はこれを人間に使わせていたようです。

そして、自分の失敗を過大に考え、長所を過小評価するように人間を導いていたのです。

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クリスチャンが愛の視点からものを見る訓練では、絶えずこの双眼鏡が正しくセットされているか確認する必要があります。

愛はどんな小さなことでも双眼鏡で探して見つけましょう。

そして喜ぶのです。

否定的事件も目に入ることでしょう。

その時は双眼鏡を外し、客観的に見ましょう。

悪は存在し、この世に矛盾が起きていることはしっかり確認しなければなりません。

しかし、拡大して見る必要はありません。

等身大の大きさでそのことは受け止めつつ、愛を見逃すこと無く神の双眼鏡で探し出していくのです。

そして感謝する。

この繰り返しの訓練が、あなたの人生を緩やかに、しかし確実に変えていきます。

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N美さんは人前に出るのが恐くてしかたがない人です。

「絶対人に笑われる」

彼女の考え方の傾向を知ったカウンセラーは、十分受容した後でこう言いました。

「それはやってみないとわかりませんよ。現段階では笑われるかもしれないし笑われないかもしれない。確率としては50%対50%ですね」

このフレーズにN美さんの心が反応しました。

今まで100%人に笑われると思っていたのが、

「そうか、半分かもしれないのか」

と思った時点で、スゥーッと心が軽くなるのを感じたのです。

もちろんまだ半分は恐れの感情が心の部分を占めていますから、完全に解放された感覚を味わったわけではありません。

しかし、少し楽になったことは確かです。

そして、心に隙間ができると、良いものが見え出します。

「もしかするとこの先生の言うとおりかもしれない。もしかすると何もなく帰ってこられるかもしれない。もしかすると良い人との出会いがあるかもしれない」

彼女は恐れながらも前に一歩踏み出す人生を歩んでおられます。

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神の双眼鏡を使うと

「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。
(創世記1:31)

という世界が現れてきます。

良きものに目を留める今日として参りましょう。

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