今日のみ言葉【No.1726】(2018年 4月10日)「 悔い改めとは」

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」
(マルコ1:15)

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軽自動車は「軽」という漢字がつきますから軽そうに思いますが、最も軽い車種でも重量は600kg。中には1トンを越える車もあります。

10kgのお米を運ぶのにも「ヨイショ」とかけ声をかける私たちがどうやってこんな重いものを動かすのでしょうか。

簡単です。エンジンをかけてアクセルを踏み、ハンドルで方向を定めればよいのです。

動くはずがないと思えば動きませんが、動くのだと思って操作すれば車は動きます。

実はこの話の中に「悔い改め」の真意が隠されています。

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バプテスマのヨハネもイエス・キリストも悔い改めを説きました。

「バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた」
(マルコ1:4)

「ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」
(マルコ1:14-15)

ここでどうしても重要なので言っておきたいことがあります。

それは、「悔い改め」とは「今までの行いを改めて真面目に正しい生き方をする」とか「自分を無にして生きる」ということではないということです。

そのような生き方は、最低600kgある軽自動車をあなたが持っている体力で動かそうとするようなものです。

下りの坂道なら動くでしょうが、それは地球の重力の仕業です。上り坂になったら絶望です。

今までの悪習慣をやめて真面目に生きるというのは悔い改めた結果なのです。

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「悔い改め」という語はギリシャ語で「メタノイア」と言いますが、これは「思いを変える」という意味で、ただ単純に「向きを変える」「方向転換」ということです。

こんなに重いものが動くはずがないと思っていたところに、ある人が

「このキーでエンジンをかけて、右足でアクセル、左足でブレーキ、両手でハンドルを握り、アクセルを踏めば動きますよ」

と教えてくれたとします。

右足1本で動くはずがない重さなのですが、「動く」と考えを変えれば車は動くのです。

これは「念ずれば物事は必ず成る」という精神論的なこととは違います。

車を動かすのはエンジンであってあなたの足ではないように、あなたの人生を新しいものに変えるエンジンは神の力です。

ただし、「どうせ変わらない」と今までどおりの考え方をしていたら本当にそのまま何も変わりません。

「神の国は近づいた」のだから神のわざが始まると考えを変えることが「悔い改めて福音を信じる」ということなのです。

キリストの十字架によって罪ゆるされ、新しい恵みの人生を始められるのだ、と信じる、つまり、思いを変えることによって方向が変わります。

すると神のエンジンが推進力となって、重かったあなたの人生がグイグイと進んでいくのです。

そのように生きてみると、

「安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごす」
(第1テモテ2:2)

という人生を送っていたのだと後になってあなたは知ることでしょう。

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今日、思いを変えて、「ゆるされているのだ」という方向に一歩足を進めて参りましょう。

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