今日のみ言葉【No.1735】(2018年 4月20日)「 キリストの人格に触れる(1)」
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」
(マルコ1:11)
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「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「リア王」などの名作を書いたシェイクスピア。
同じ時代に活躍した戯曲家は他にもいたはずですが、人間の本質を衝いたシェイクスピアの作品は何か違っていました。
そして彼の作品は「古典(classic)」となり、現代まで残っています。
時代を越え、時のふるいにかけられて残った古典は、たとえ難解で今は分からなくともその価値は不変です。
聖書は信仰を持たない人が読んでも、価値ある古典として人類に与えられた財産と言えるでしょう。
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キリスト教に興味を持った人が聖書を読み進めていく時に抵抗を感じる箇所があります。
「神の子」という表現に出会った時などがその典型的な例です。
どうやって神の子となったのか、とか、その正当な根拠は、などが示されないまま、いきなり神の子と言われると、
「それは全く独りよがりの押し付けではないか」
という思いが湧いてくるからです。
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そのような時は「古典なのだから」と考えるとうまくハードルを乗り越えられます。
「この箇所は私にとっては?マークがつくけれど、今までの人類が古典とするほどの内容なのだから、きっと意味があるのだろう」
として、わからない箇所や受け入れられない部分は一時的にやり過ごすのです。
わからないものを無理やり納得したように自分に言いきかせるのは欺瞞です。
「今は分からないし納得できない。しかし後になって人生経験を積んだら分かるのかもしれない。まずは読ませていただこう」
それが聖書に向かう時の正しい態度だと私は思います。
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「イエス・キリストは神の子なのだ」
と言えるのは、福音書を最後まで読み終わり、イエスの言葉と行いを知り、その人格に触れた後のことです。
聖書を実際に読んでみると、今まで自分が持っていた知識が先入観や偏見で作られた部分があったことを発見します。
そして新しく目を開いて読んでみて、もう一度キリストを見なおしてみる時、初めて「神の子」と言うことができるのです。
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正直に、自分の気持を偽らずに聖書に向かう時、神様は私たちを導いて下さいます。
そう信じて、まずは古典として、次に私たちに命を与える信仰の書として聖書を読み、何よりもイエス・キリストの人格に触れるように心がけて読んでみましょう。
そこに新たな人生の道が開けていきます。
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