今日のみ言葉【No.1691】(2018年 1月23日)「 途方にくれても」

信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。
(ヘブル11:23)

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心理学で有名な「犬の電気ショック実験」があります。

2頭の犬を別々の部屋に入れます。

Aの部屋の犬は電気ショックが来ても止められる装置がついています。

犬はそのことを学習し、ショックを回避する行動を取るようになりました。

Bの部屋には何もありません。

犬は飛び上がっても動いても吠えても電気ショックを回避することができないと学習するので、床にうずくまってただ耐えるのみになりました。

さて、注目すべきはその後です。

Bの部屋の犬をAの部屋に移し変えて同じ実験をします。

すると、停止装置が目の前にあるにも関わらず、犬は何の行動も起こさずに不快な思いを体験し続けたのです。

心理学者はこの現象を「学習性無力感」と呼んでいます。

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人間も同じで、自分の行動が何の変化ももたらさないと学習すると

「どうせ何をやっても無駄なのだ」

というあきらめの境地に達し、現状を変える意欲が無くなり、そこから脱出できるのに逃げようとも思わなくなります。

毎日、嫌なことの繰り返し。

それがいつ突然やってくるかわからないという恐れと不安。

そうこう言ってもどうしようもないので、恐怖という感覚に浸かりきった毎日を送るようになります。

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神を信じて生きる時、それでも恐れはやって来ます。

眠れぬ夜もあり、明日がやって来て現実に直面しなければならないシーンを思い描いては力を無くします。

しかし、クリスチャンは全生涯をその恐れの日々に渡そうとはしません。

恐れや悩みの日々は短く終わります。

永遠の存在である父なる神の御言葉とその約束を思い出す時、助けがあると知るからこそ、ここから抜け出したいという意欲が湧いてくるのです。

「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない」
(第2コリント4:8-9)

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O姉のご両親は老老介護で、お母さんがお父さんを介護していました。

しかし体調を崩したお母さんが入院となり、急遽娘さんのO姉が実家に戻り、お父さんを介護することとなりました。

元々関係の悪かったお父さんと一緒に生活するだけでもストレスなのに、介護側として優しく接しなければならず、そこに老人特有の恨みつらみを聞かされたので、

「これ以上私にどうしろというの!」

と爆発してしまいました。

親に冷たい言葉を投げつける自分に

「ああ、私は名ばかりのクリスチャンだ。自分の信仰は飾りでしかなかったのか」

と自分を責めて嘆くばかりのO姉でしたが、クリスチャンになって30年来続けてきた両親の救いの祈りは欠かさず神の前に捧げていました。

やがて転機が訪れました。

お母さんが退院する前日、お父さんが体調を崩して救急車に運ばれそのまま入院。

O姉はこんなタイミングの良さは神様のお取り計らいだと直感しました。

お父さんは病院のベッドの上で何かムニャムニャ誰かに話しているようなので、耳を傾けて聞いてみると、

「私は○○教会の△△牧師から洗礼を受けまして…」

と言っているではありませんか。

若い頃洗礼を受けたとは聞いていましたが、そこからプッツリと離れて50年。

しかし、人生の晩年で信仰がよみがえったのです。

やがて夫と娘と一緒の信仰を持ちたいとお母さんも受洗されました。

O姉にとっては自分の好きな仕事も環境も手放さざるを得ず、実家に戻って大変な状況を味わわれましたが、すべて神の御手の中で祝福に変えられるご計画があったのだと実感なさいました。

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祈りを欠かさず、神に望みを置く今日を生きて参りましょう。

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