今日のみ言葉【No.1680】(2018年 1月10日)「 謙遜とプライド」
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。
(ヘブル10:39)
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ご高齢で矍鑠(かくしゃく)としておられる方々には、プライドが高い人が多いように思われます。
プライドという言葉には否定的響きが感じられることがありますが、体力が衰える人生の最終盤では
「私は今までの人生でこれこれのことをやってきた」
というプライドが人を支えるようです。
しかし、それだけでは人とぶつかります。
人生の最後まで良き人間関係に囲まれながら生きる人こそ幸いな人です。
その人とは、
「ありがとう。あなたのお陰で生きていられる」
と、プライドと共に謙遜さを持った方々です。
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キリストの福音を受け入れるときに、このプライドが邪魔をすることがあります。
自分がやってきたことを正当に評価し、自分に誇りを持って生きて良いのですが、プライドが高いと無償で得ることに抵抗を感じます。
何とかして自分の働きを付け加えたくなるのです。
それは、恩を着せられたくないとか、自分は無力な存在ではないとか、様々な思いや感情が働くからなのかもしれません。
しかし、罪の問題は永遠の行き先を決め、命に関わる大きな課題です。
聖書はこう語ります。
「しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である」
(ヘブル10:39)
ここは自分の努力を一切やめ、
「神様、あなたにお任せいたします」
と、キリストの十字架による罪の赦しを受け入れ、何の善行をすることもなく無料の救いをそのまま受け入れることが大正解なのです。
謙遜は人生の諸段階で何度も求められ、その度毎に磨かれていきます。
「神様ありがとう。あなたのお陰で生きていられる」
この謙遜さが人に命をもたらし、あなたが持っているプライドをも生かし、人生に祝福を刻んでいくのです。
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先日、80歳になる前に心臓の手術を決断した方をお見舞いに行きました。
聞けば筋力トレーニングを欠かしたことがなく、病院のベッドの上でもそれを披露してくださるくらい体力十分ということがわかりました。
さて、手術後にご家族からお話を聞くと、実は心臓を止めて体のあちこちから血管を移植する大手術だったのだそうです。
その間、当の本人は全身麻酔で全く意識がなく、命を保つための努力を何もしていません。
主治医を信頼し、優秀な医療チームにお任せすることがその人の唯一の仕事だったのです。
そして術後のリハビリで事前の筋力の貯えが効き、予定よりも早い退院となりました。
私には何もできませんという謙遜と、私は十分やってきましたというプライド。
この両輪がその方の命を安定して走らせたのです
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今日の一日を神にゆだね、あなたの全力で走り抜く日として参りましょう。
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