今日のみ言葉【No.1571】(2017年 7月21日)「 愛の神が支えて下さる」

ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。
(イザヤ43:1)

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今年最初のミニトマトの収穫をしました。

真っ赤に熟した宝石のようなトマトを、採ったその場で食べるのですから、おいしくないわけがありません。

妻にも食べてもらい、「おいしいね」と言ってはもらいましたが、それは普通の美味しさだったようです。

やはり私が苗を選んで植え、世話をし、収穫したものなので、普通以上の格別の味として感じられたのです。

「創造主なる神は、このようにご自分が造られたもの全てに特別な愛着を感じておられるのだろうな」と思わされたひとときでした。

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神はご自身を深く創造と結びつけておられます。

創造されたもの全てに神は深い関わりを持たれ、特別な愛を持って支え、保持しておられるのです。

自分が育てたトマトに特別の美しさとおいしさを見出すように、神は造られたもの全てに、特に人間に対して、愛の目を注いでおられます。

そして私たちはその愛から引き離されることはないのです。

「高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」
(ローマ8:39)

創世記第1章に記された創造の神を信じて生きるということは、

「結局この世で頼れるのは自分一人であり、独力で生きなければならないのだ」

という考え方を拒否します。

そして、

「人生とは私を造った愛の神から深い関わりを与えられながら生きるものであり、神は創造者としての責任を持ってこの私を支えてくださるのだ」

という考えを持って生きることなのです。

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さて、人生をある程度長く生きていると、そのような聖書のメッセージを信じられなくするような出来事に出遭います。

言われた通りにやったのにトマトがならなかったり、畑が荒らされ、トマトが盗られたりという理不尽な目に遭うのです。

「本当に神は私を見ているのか?いたとしてもその愛は気まぐれな愛なのではないか?」

特に人間関係の問題は老年になっても後を引きます。

そこで作家の曽野綾子さんは

「老年の一つのひじょうに高級な仕事は、人々との和解である」
(『完本 戒老録』,曽野綾子著,祥伝社,P231)

と述べ、人生の終わりが見えてきたら人々との和解をしなさいと勧めています。

年をとると、和解が次の二つの理由でより安易になるのです。

(1)この世は自分にわかることばかりではない、ということがわかる。

(2)残り時間が少ないので、苦しめられる時間も少なくなるから。

和解は容易にはできません。

しかし、ホスピスに入った患者さんのうち、

「最後の三、四週間にやる仕事の最も大きなものは、人々との和解だ」
(同書 P232)

という事実は、重い真実を告げています。

人生は人間が全てわかるようには造られていないようです。

しかし愛の神は、人生の最後の最後まで私たちを支える手段を残しておられるのです。

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創造の神は私たちを支える神です。

この御方に信頼して今日の一歩を踏み出して参りましょう。

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