今日のみ言葉(2011年6月13日)【No.85】
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによ
って、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」
(ローマ5:8)
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「罪人(つみびと)」という聖書の言葉は、犯罪を犯す「悪人」のことだけをいうのでは
ありません。
罪とは神の基準を満たさないことです。
正しいことをする能力があるのに的外れなことをしていたり、思いは正しくてもそれをす
る力に不足してできないでいることも、神の高い基準を満たしませんから「罪」というこ
とになります。
やろうと思ってもできない。やめようと思ってもやめられない。
これが罪の奴隷となった人間の姿です。
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この世で罪を犯したら、その罪で損害を与えた分を弁償し、二度と同じことをしないよう
に行動を直せ、と要求されます。
「自分は悪いことをしようという意志があった」、と納得している場合はよいでしょうが、
それはごくごく稀なケースです。
多くの場合、人間が罪を犯すのは、その弱さの故ではないでしょうか。
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人は誰でも苦しい目に遭い、時に辛さから逃れられない日々を過ごします。それは途切れ
ることのない苦しみの連続です。
耐えていた人間が耐えられなくなる時があるのです。
それは、
「誰もわかってくれない」
と思う時です。
どんなに苦しい目に遭っていても、
「自分の状況を誰かが知っている。自分の思いを十分にわかってくれている。」
そう確信できるなら耐えることができます。
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イエス・キリストはその私たちの弱さと心の内を知っておられます。
だからこそ、私たちの罪のために、ご自分の命でもって罪の償いをされ、私たちの心の内
に住まわれ、日々の生活を導いて下さるのです。
あなたがこのことを信じたその時から、重荷は軽くされ、耐える力が湧きあがってくるこ
とが感じられるでしょう。
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<< 祈 り >>
「神様、いつまでこの苦しみは続くのか、と思う毎日です。『いっそのこと…』、と投げ
出したくなる自分がいます。しかし、その私をあなたはわかっていて下さることを感謝し
ます。私に耐える力があるから見守っておられるのですね。耐えられない時が来たら、あ
なたの助けがあることを信じます。」
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神の愛は無条件です。愛を信じて今日一日を歩んで参りましょう。
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