今日のみ言葉【No.1084】(2015年 7月11日)

その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
(イザヤ53:5)

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イザヤ書第53章は「苦難のしもべ」の預言として有名な個所です。

死海文書の発見で、イザヤ書は間違いなく紀元前、つまりキリスト降誕以前に書かれた書物であることは科学的にも証明されています。

ですから、イザヤ書第53章はキリストが世に来られる数百年前に書かれたものです。

にもかかわらず、そこで描写されている姿は、あまりにもキリストの受難の姿と一致しています。

ここに神の預言、聖書預言の正確性を見ます。

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「苦難のしもべ」として来られるメシアは、私たちの罪を負うために来られました。

「彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。」
(イザヤ53:5)

古代イスラエルでは、病は罪の結果として考えられていました。

ですから、罪のゆるしと癒しは同じ意味なのです。

「その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」
(イザヤ53:5)

すなわち、イエス・キリストが身代わりとなって十字架につき、その打たれた傷によって、私たちの罪が赦されたのです。

このことを、自分のためにキリストは十字架にかかられたのだと信じる時、その人は救われます。

罪が赦され、癒しがもたらされるのです。

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あるキリスト教系の病院の院長先生から直接聞いたお話です。

まだ院長になることなど考えもしなかった若手医師の頃、とにかく身体の癒しのみをしていたそうです。

しかし、胃潰瘍で分かるように、たとえ胃という臓器を治しても、クヨクヨするというその人の心が治らなければ、また胃潰瘍が再発します。

ですからその病院では、身体の癒やしと心の癒しの療法を目指すようにしました。

当時としては先進的かつ画期的方針だったことでしょう。

やがてこの病院にもうひとつ、「霊の癒し」という方針が加えられました。

それは、一人の患者さんの自殺がきっかけでした。

その方はこの病院に入院し、医師と医療スタッフの治療により、身体は治り、知的にも障害が残ることはなく、健康な心体で退院することができました。

しかしその1週間後に自殺してしまったのです。

その遺書には、

「生きる意味がわからない」

と記されてあったそうです。

院長先生はもちろん、病院職員は皆落胆しました。

そして、

「なぜだろう?何が足りなかったのだろう?」

と考え始めました。

その結果が、「霊の癒し」の部分だった、と思い至り、その後、「パストラル・ケア(臨床牧会)」部門が新設されました。

私がその病院で研修させていただいた折には、2名の牧師の下、60名のクリスチャンスタッフがおり、毎日病院のあちこちで患者さんを訪問し、お話を聞き、賛美歌を歌い、祈る、という霊的ケアがなされていました。

人は自分の罪がゆるされて初めて真の意味で癒やされます。

「苦難のしもべ」である救い主イエス・キリストは、今も私たちに対して働きかけておられるのです。

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心も身体も霊も癒して下さるイエス・キリストにゆだねて、今日も歩んで参りましょう。

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