今日のみ言葉【No.1612】(2017年 9月28日)「 愛する者を訓練する神」

そのとき、カレブはモーセの前で、民をしずめて言った、「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」。しかし、彼とともにのぼって行った人々は言った、「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです」。
(民数記13:30〜31)

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世の中は2種類の人間に分かれます。

「できる」と考える人と「できない」と考える人です。

「できる」と考える人はどうやったら出来るかと考え、「できない」と考える人はなぜできないかその理由を考えます。

同じ脳の使い方でも違うものです。

ヨシュアに率いられて約束の地カナンに入る40年前、イスラエルの民は可能思考か不可能思考のどちらを選ぶかのチャレンジを受けていました。

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エジプトから脱出した後、神はモーセにカナンの地を偵察に行くよう命ぜられました。

「人をつかわして、わたしがイスラエルの人々に与えるカナンの地を探らせなさい。すなわち、その父祖の部族ごとに、すべて彼らのうちのつかさたる者ひとりずつをつかわしなさい」
(民数記13:2)

その結果、カナンは作物が豊かであることと強そうな先住民がいることの2つが報告されました。

そこでカレブはこう言いました。

「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」
(民数記13:30)

神の約束の確かさを信頼し、主にあって「できる」と考えたのです。

しかし、神の力を体験した後であっても半信半疑の者、あるいは神の約束より自分の力を方を確かなものとして信頼する者が多数を占め、

「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません」
(民数記13:31)

という意見が採用されました。

神はどのようになさったでしょう?

神は彼らがまだアブラハムと結んだ祝福の契約を担う強さや力を身に着けていないと判断され、カナンの地ではなく、再び荒野へと送りました。

そしてそこで40年の荒野の訓練の生活をさせ、全てを否定的に見る不可能思考者の集まりから、神に信頼を置いて「できる」と考える可能思考者の群れへとイスラエルの民を変えたのです。

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荒野の生活は、彼らを神の祝福にふさわしい者とするため、器を大きくするための訓練となりました。

その厳しい訓練の背後に神の愛があることを忘れてはなりません。

「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」
(ヘブル12:6)

祝福の基となるためにイスラエルの民も私たちも神の訓練を受ける時期を通ります。

その真っ最中は嬉しいとも何とも思いません。一刻も早くこの時が過ぎてくれれば…、と願うだけです。

しかしその厳しい時期を通してのみ与えられる平安というものがあるのです。

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる」
(ヘブル12:11)

そして私たちはさらに神を信頼する者へと変えられていくのです。

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神に信頼を置いて生きるには訓練が必要です。

今日一日の訓練を十分いただき、また明日に向かってチャレンジして行きましょう。

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