今日のみ言葉【No.1563】(2017年 7月 7日) 092 「イエスの準備された食卓にあずかった弟子たち」(2)
「子たちよ、何か食べるものがあるか」
(ヨハネ21:5)
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パソコンの画面が固まって動かなくなると「強制電源終了」しかありません。
4秒以上電源ボタンを長押しするとパソコンの電源は切ることができます。
ところが、こんなことを繰り返しているとシステムに異常をきたし、本当にどうしようもなくなります。
そこで「初期化(リカバリー)」、つまり、買った時のまっさらな状態に戻すことになります。
パソコンと人間を同じ扱いにするわけではありませんが、弟子たちを再び歩み始めさせるために、イエス・キリストは彼らを最初の場面にお戻しになられました。
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ルカによる福音書第5章で、ペテロはイエス様の言う通りにすると大漁となった体験をしました。
ヨハネによる福音書第21章でも同じ状況です。
一晩中漁をしても不漁。
しかしイエス様の
「舟の右の方に網をおろして見なさい」
(ヨハネ21:6)
という言葉に従うと、網を引き上げることができないほどの大漁となりました。
この瞬間、彼の脳裏に、かつて言われた
「舟の右の方に網をおろして見なさい」
(ルカ5:4)
と言う声がよみがえったことに間違いはありません。
ルカ5章でイエス・キリストに従うことを始めた、あの時と同じ状況で彼らは再スタートしたのです。
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イエス・キリストは本当に用意周到に弟子たちと出会って下さいました。
再スタートのポイントは、自分たちには何も「無い」ことに気づくことです。
イエス様は弟子たちにこう声をかけられました。
「子たちよ、何か食べるものがあるか」
(ヨハネ21:5)
この箇所は新改訳の方が正確に訳しています。
「子どもたちよ。食べる物がありませんね」
ギリシャ語原典では
「何か食べるものが無いのではないか?」
と、「無い」という部分が強調されている問いなのです。
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自分には力が有ると思う人は神からの祝福を受け取りません。
すでに有るのでその必要がないと思うからです。
しかし、自分には力が無いと意識する人は、神からの祝福を受け取ることができます。
弟子としてうまく行かない、魚も捕れない、食べ物もない、力も希望もない…。
この「無い人」にイエス・キリストは近づいて下さり、無いことを受け入れ、その必要を満たそうとされるのです。
ですから、くじけた体験を持つ人ほど、イエス様は近づいてくださいます。
挫折体験は神と出会うためのチケットに変わるのです。
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長嶺由宇さんは教師としても、人生にも行き詰まりました。
しかし、イエス・キリストと出会い、日本全国の講演会で歌を歌い、心を癒すゴスペルシンガーとして活躍する人生を始められました。
彼の歌声に癒やされる人々が大勢いらっしゃいます。
特筆すべきことは、病に臥せっている方々は、教会のメッセージCDではなく、彼の音楽CDをお選びになるということです。
本当に苦しい状態の時、人間の言葉はうるさくて聞くのが苦しくなるのです。
しかし、音楽なら耳に優しく、心の薬として入ってくるのだそうです。
長嶺さんの最初の職業での挫折は、イエス・キリストにあって「癒しの人」としての最高の仕事をするチケットとなりました。
神のご計画はそのようにして人を最善へと導いてくださるものなのです。
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くじけた記憶を埋めていていいのです。
今はその時です。
しかし、時至って、神があなたを再スタートさせる時、その体験は痛みとしてではなく、最高の祝福へと導いてくれるものとなります。
神様の愛の御手を信じて、今日も歩んで参りましょう。
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