今日のみ言葉【No.1557】(2017年 6月30日) 090 「復活のイエスに会った弟子たち」(2)
イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
(ヨハネ20:19)
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キリスト教笑い話を一つ。
聖地巡礼の旅に出たクリスチャンが、お目当ての教会にたどり着きました。
古代の建築様式、初期キリスト教美術、荘厳な雰囲気。
まるで聖書の時代にタイムスリップしたかのようです。
ふと見ると、誰もいない礼拝堂の最前列の長椅子で一人のシスターが一心不乱に瞑想しておられるようです。
そのクリスチャンは感激して
「そうだ、私もあの方の隣で瞑想させていただこう」
と静かに隣の列の椅子に座りました。
そして何気なくシスターの方を見やると、彼女は指を動かしています。
何だろうとよく見ると、
彼女が持っているもの
それは
スマホでした!
現代のシスターは世と離れた場所にいながらスマートフォンで世の中を知り、メールやSNSで信者さんのニードに応えておられるようです。
さて、イエス様の十字架後、丸3日間閉じこもっていた弟子たちには外の様子を知るすべはありません。
そこに復活のキリストご自身が入ってこられました。
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弟子たちがなぜ「自分たちのおる所の戸をみなしめて」いたかというと、見つかって逮捕されるのではないかという恐れからです。
この外からの脅威と共に、自責の念という内側からの刃も彼らは感じていました。
身の置きどころがない苦しみです。
そのただ中に、気がついたらイエス・キリストが立っていました。
戸を堅く閉ざしていたにもかかわらずです。
そして、おびえ、自分を責める弟子たちに対して語ったイエス様の第一声は
「安かれ」(口語訳)
「平安があなたがたにあるように」(新改訳)
「あなたがたに平和があるように」(新共同訳)
“Peace be unto you."(King James Version 英欽定訳)
でした。
現代の日常的言葉で言い換えれば、
「安心しなさい。大丈夫」
となるのではないでしょうか。
これは弟子たちの心に響いたはずです。
「ああ、ゆるされているのだ」
「イエス様は私を責めていない」
イエス・キリストと出会う人。それはキリストを裏切った人です。
信じると言っておきながら、そうできない人、できなかった人。
その人が「安かれ」という言葉と共にゆるされ、キリストと出会うのです。
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「大丈夫。安心して」とおっしゃるキリストの言葉を聞く今日として参りましょう。
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