今日のみ言葉【No.1537】(2017年 5月24日) 084 「ピラトとユダヤ人」(3)

これは、ご自身がどんな死にかたをしようとしているかを示すために言われたイエスの言葉が、成就するためである。
(ヨハネ18:32)

そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。
(マタイ20:19)

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私の鼻の頭には、先日火傷をした跡がまだ残っています。あと1ヶ月もすれば消えるでしょう。

この1ヶ月間、私と会う方々は様々な反応を見せて下さいました。

いきなり、

「先生、ずいぶん小さくなりましたよ。大丈夫ですよ」

と、私自身が全然気にしていないのに、わざわざ教えてくださる方がおられました。

また、一般のお店などで感じたのは、急に事務的対応になることです。

おそらくその方は私の顔を見て、

「何か事情がおありなのだろう。驚いた表情など見せてはいけない」

と瞬間的に考え、身構えるのでしょう。非常に冷静客観的な態度を見せられます。

人の本音とは普段現れないものですが、ある瞬間、フッと現れます。

ピラトやユダヤ人たちの場合、イエス・キリストが現れたことによって、彼らの本音とその正体が表に出てきました。

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自己の保身のために真理よりも妥協を選ぶピラト。

自分たちの利益を確保するために、人を抹殺することを正当化するユダヤ人たち。

自分の野望や思いを果たすために、真理や自分の信条まで曲げて突っ走ろうとする人間の罪がここにあります。

私たちをそのような罪から救うために、イエス・キリストは従順に十字架につき、私たちが受けるべき刑罰を負って下さったのです。

大事なことは、ピラトやアンナスに代表される人々のためにもイエス・キリストは十字架につかれたということです。

「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう」
(ローマ5:10)

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今は「救いの時代」なのです。

「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」
(第2コリント6:2)

イエス・キリストが十字架につき、復活され、天に昇り、そして聖霊がくだって「教会の時代」が始まりました。

この「教会の時代」は恵みの時です。

イエス・キリストを信じるだけで罪のすべてが赦され、永遠の命が与えられ、肉体の死後、天国に行くことが約束されています。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
(ヨハネ3:16)

この恵みの時は、やがて来るキリストの再臨の時に終了します。

全世界のクリスチャン(つまり教会)が一瞬にして天に引き上げられることが聖書に預言されています。

「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」
(第1テサロニケ4:16〜17)

聖霊もこの時地上から去ります。聖霊の宮であるクリスチャンが地上にいなくなるからです。

ですからこの恵みの時代にイエス・キリストの福音を知った者がするべきことは、ただひたすら自分をゆるすことです。

自分を責めている暇などありません。

ピラトやアンナスでさえも、もしイエス・キリストを自分の罪からの救い主であると告白し、信じたなら、彼らも無条件に救われたのです。

自分の身を痛めつける者たちのためにもキリストは十字架につかれ、彼らを愛し、その命を捧げられました。

この事実に常に立ち返り、罪の刑罰を身代わりに負って下さったキリストの事実に基づき、嫌でも自分をゆるそうと努めることがクリスチャンのなすべき選択です。

心を鬼にしてでも自分をゆるしてください。

全く気持ちが乗らず、義務感からしているな、と感じたとしても、まず自分をゆるすことです。

今は恵みの時代だからです。

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自分を責めることが習慣となって、自分をゆるすこととはどういうことかわからない人は、先輩クリスチャンや教会のリーダー、牧師たちが「しくじり」をした時にどうしているかを参考にしてみるとよいでしょう。

あまり大きな失敗ではなく、「しくじり」と言える程度のものが良いでしょう。

必ず独特の本音がにじみ出たフレーズを発せられます。

以下に私が集めたコレクションの一部を紹介しましょう。

●N先生:「うん、まあ、そういうこともある」
●H先生:「しゃーない、しゃーない」
●A先生:「ん?あ、そう(笑)」

この方々は自分をゆるす達人です。

全くアッという間にゆるし、切り替えて次の仕事に移るので、私などは

「もう少し自分を痛めつけたり責めたり、悔い改めの表情を見せてくれないのかなあ」

と思ってしまうほどです。

しかし、恵みを100%受けて生きるとはこういうことなのかと学ばされます。

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イエス・キリストは、人間の罪と真っ向から対決し、罪を負うお方です。

この方がもたらした恵みの時代を精一杯、全力で生きる今日として参りましょう。

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