今日のみ言葉【No.1534】(2017年 5月20日) 083 「イエスを否認したペテロ」(3)

ペテロはまたそれを打ち消した。するとすぐに、鶏が鳴いた。
(ヨハネ18:27)

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受験のシーズンになると、「落ちる」とか「滑る」とかの言葉は禁句だと家族の中に箝口令(かんこうれい)が敷かれることがあります。

膨らませ過ぎた風船が何かの拍子に「パーン!」と割れてしまいそうな、あんな感じでピリピリした雰囲気が漂います。

当の受験生が一番そのことを考え、心配しているからです。

表面上は静かに勉強している姿でも、内面は「落ちるのではないか」と「いや大丈夫だ」の相反する思いの戦いです。

これと似たような状態にあったのが大祭司の庭にいたペテロでした。

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ペテロは炭火にあたって、たたずんだままでした。

「シモン・ペテロは、立って火にあたっていた」
(ヨハネ18:25)

イエス様のところに進み出ることも、あるいはここから逃げることも、両方とも出来なかったのです。

前へ進むアクセルとそれを引き止めるブレーキの両方がかかっているようなもので、彼の心のエンジンはブンブン回り、1センチも動いていないのに過熱したヒート状態でした。

そんな敏感な心は、ほんの些細なことにもオーバーに反応します。

1度目は門番の女に対して、そして2度目は炭火にあたっていた人々から、

「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」
(ヨハネ18:25)

と問われた時にそれが現れ出ています。

「彼はそれをうち消して、『いや、そうではない』と言った」
(ヨハネ18:25)

自分とイエスとは無関係だという、およそ数時間前には想像も出来ないほどのかたくなでイエス様を寄せつけない態度として過剰反応が現れています。

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そしてとうとう3番目に、彼を本当に責めて良い資格のある人が現れました。

ペテロに右耳を切り落とされたマルコスの親族の者が偶然にもそこにいて、彼をその犯人だと認めたのです。

「大祭司の僕のひとりで、ペテロに耳を切りおとされた人の親族の者が言った、『あなたが園であの人と一緒にいるのを、わたしは見たではないか』」
(ヨハネ18:26)

加害者側は忘れても、被害者側は忘れられるものではありません。

「あの人にうちの親戚のマルコスは耳を切り落とされて痛い思いをした。幸いすぐ治ったから良かったけど、あの人だ。絶対に忘れられない!」

このような感じで恨まれていたとしてもおかしくはありません。

ペテロは3度目も否認し、そこで鶏が鳴きました。

ペテロはハッと気づきます。

「自分はイエス様が言った通りのことをした。命を捨てるなどとんでもない。我が身の命惜しさに、先生とは無関係で知らないと言い張った罪人だ…」

この時のペテロの心は察するに余りあります。

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しかし、ここで「だから自分はダメなんだ…」と自分を捨ててはいけないのです。

なぜなら、イエス様はそのようなペテロをご存知の上で、すでに言葉をかけられ、とりなしの祈りをしておられたからです。

「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」
(ルカ22:32)

イエス様はペテロの裏切りを承知の上で彼を弟子として選ばれました。

この大きな愛があるからこそ、人は生きていくことが出来ます。

「神様を一生懸命信じようとして、信じ切れるだろうか」と思っている方はおられないでしょうか?

大丈夫です。信じられない時は誰にでも来ますから!

それをイエス様はご存知の上であなたを選ばれたのです。

「途中で神様がいるのかいないのか分からなくなったらどうしよう?」

大丈夫です。必ず分からなくなる時が来るのですから!

たとえそうなったとしても、そのような私たちを承知の上でイエス様は選んで下さったのです。

そこでのキーワードは「おまかせします」という一言です。

自分の確かさで信仰を持つことが出来るかどうかということではありません。

神の言葉の確かさによって救われるのです。

ここが信仰の勘所です。

あなたの目を自分だけに注ぐのをやめて、イエス・キリストを見ようと移した時、そこにペテロを見ていたのと同じ視線を見ることとなるでしょう。

「すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。主は振りむいてペテロを見つめられた」
(ルカ22:60~61)

この愛のまなざしがペテロを生かし、また私たちをも生かして下さるのです。

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この私のそのままを愛し、ずっと見続けて下さるイエス様の視線を浴びながら、今日の一日を生かされて参りましょう。

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