今日のみ言葉【No.1502】(2017年 3月27日) 074 「ラザロのよみがえり」(1)
「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」
(ヨハネ11:4)
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私の近所にスターバックスがあります。
家内はファンで、よくお友達と一緒に行くのですが、私はあの雰囲気には馴染めません。
スターバックスによく行く方には申し訳ないのですが、人それぞれ好みが違うものです。
私が一番リラックスできる場所は整体院です。
マッサージをしてもらい、とりとめのない話を交わしている時が一番くつろげる時です。
イエス様がリラックスし、英気を養える場所は、マルタ・マリヤ姉妹とその弟のラザロがいるベタニヤでした。
ヨハネ11章はそのラザロが重い病気にかかったことから始まっています。
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イエス様と弟子の一行は、エルサレムの都に上られたとき、エルサレムから3kmほどの所にあるベタニヤという村のラザロの家によく滞在されました。
イエス様はこの家族と大変親密な交わりを持っておられました。
そのラザロが危篤となり、ラザロの姉妹、マルタとマリヤはイエス様に来て欲しくて使いを出しました。
弟のラザロを癒してもらいたかったからです。また彼女らは、イエス様がそうできる方であると信じていました。
しかし、ちょうどその時、イエス様はユダヤ人たちの迫害の手から逃れて、ヨルダン川の向こう岸にいらっしゃいました。
「そこで、彼らはまたイエスを捕えようとしたが、イエスは彼らの手をのがれて、去って行かれた。さて、イエスはまたヨルダンの向こう岸、すなわち、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に行き、そこに滞在しておられた。」
(ヨハネ10:39-40)
そこからベタニヤまで歩いて1日の道のりです。
この後の聖書の部分から推測すると、使いを出してからまもなく、ラザロは息を引き取ったようです。
そんなことなど使いの者は知る由もありません。
彼は
「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」
(ヨハネ11:3)
と言って、急いでイエス様を連れて帰ろうとするだけです。
「イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。」
(ヨハネ11:5)
とあります。
ならばすぐベタニヤに駆けつけようとするはずです。
ところが、
「ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、そのおられた所に滞在された。」
(ヨハネ11:6)
とあるように、イエス様はそうなさいませんでした。
愛しているはずなのに駆けつけようとしない。
矛盾です。
愛しているとは口先だけのことで、本当は愛していなかったのか?
あきらめられてしまったのか?
使いの者は、ジリジリとした思いで過ごしていたことでしょう。
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ここが信仰上の、「痒いところに手が届かない」「スッキリと事が運ばない」と感じるところです。
癒やしや救いを進めることは神の御心のはずなのに、肝心の神様ご自身が動いてくれないと思う時があります。
使いの者は1分1秒を惜しんでイエス様の所に来たはずです。
ところがイエス様は2日間動こうとしません。
その理由を、
「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」
(ヨハネ11:4)
と語っておられますが、使いの者の内心は、
「そんなはずはない。重症なんですよ。危篤なんですよ。だからわざわざ私が来たんじゃないですか」
というものだったのではないでしょうか。
彼が時間を惜しんでやってきた努力は無駄になりました。
一生懸命神様のためにやって来たことが、全部神様の手で無駄にされた、と思う時があるものです。
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人間にはわからない神のご計画というものがあるのです。
神はラザロの病を癒すことでも栄光を現すことができましたが、ここでは死からよみがえらせることで神の偉大な力を現そうとなされたのです。
ラザロは放っておかれたように見えます。
そして死にました。
イエス様は間に合いませんでした。
全ては終わったように思えます。
誰も死に打ち勝つことはできません。
しかし、墓に葬られて4日もたち、死臭がするほど完全に終わりが明確になった時に、イエス様は来られ、死に打ち勝ち、死を滅ぼされた主であることを明確に表されました。
もうこれからはイエス様を信じる者は死の恐怖におびえる必要はありません。
人々を死の恐怖から解放するために、イエス様はラザロのよみがえりの奇跡をなされたのです。
この神のご計画を全うするために、私たちは戸惑いの2日間を過ごさなければなりません。
その時間をやり過ごすためには、
「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」
(ヨハネ11:4)
との神の約束を信じ、すがりつくのみです。
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わからない時には、神の約束を確かめ、静かに過ごしていましょう。
その間に、神のご計画は着々と進行しているのです。
春になってチューリップの芽が出るのは、それ以前の季節に地中で準備がなされていたからです。
神の働きに信頼し、ゆだねる一日として参りましょう。
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