今日のみ言葉【No.1501】(2017年 3月25日) 073 「生まれつきの盲人」(5)

もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです
(ヨハネ9:33)

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働き過ぎだと批判される日本人ですが、なるほど、明治維新以降に日曜日が休日と定められましたから、それ以前は休みといえば盆と正月くらいでした。

しかしイエスラエルでは、モーセの時代から7日に1度の安息日が定められ、週に一度、働くことをやめ、定期的に休みを取ることが神の律法として定められ、それは厳格に守られていました。

創世記で神は6日間で世界を創造し、7日目に休まれたとあるので、7日目の土曜日がイスラエルでは安息日であり、国全体が休みを守ります(正確には金曜日没から土曜日没まで)。

働いてはならない安息日では、医療行為でも仕事とみなされ、安息日違反とされました。

パリサイ人たちはここにつけこもうとしました。

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彼が癒された日が安息日だったので、パリサイ人たちはイエス様をとがめる絶好の口実を得ました。

それでこの人と会い、尋問しました。

ところが、彼らの魂胆とは裏腹に、パリサイ人たちから聞かれる度毎に、彼の心の中のイエス・キリスト像が段々形を取ってきました。

17節では「預言者」と告白しています。

「そこで彼らは、もう一度この盲人に聞いた、『おまえの目をあけてくれたその人を、どう思うか』。『預言者だと思います』と彼は言った。」
(ヨハネ9:17)

最終的に33節で「神からきた人」と言っています。

「もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」
(ヨハネ9:33)

イエス・キリストを救い主と信じる確信はどこから来るのでしょうか。

目が開かれたこの人の場合、詰問されればされるほど、自分の体験を深く思い返し、そこからありのままの真理が見出されてきました。

今まで自分の側からしか見えていなかった彼でしたが、だんだんイエス・キリストの存在と、その方が自分に成してくださったことが見えてきました。

そうやって彼の心の中の神への信仰心が、具体的な形へとグングン成長していったのです。

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とがめられたり批判されたりする時は、神が、

「今ここであなたの信仰を固めなさい」

と言って差し出されたトレーニングの時なのです。

自分は何を信じ、どんな希望を持ち、どこに向かって進んでいるのか。

それらが自分の心の中で整理され、はっきりとした思いになります。

また、自分の人生に神が今まで成してきて下さったことが見えてきます。

さらに年を経るごとに

「あれは損だった、回り道だと思っていたけれど、なるほど、こういうことだったのか…」

と、新たな意味を見出す時となるのです。
 

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イエス・キリストは、あなたの心の目を開けて下さるお方です。

この方に目を開けていただき、試練の中の宝を見出す一日として参りましょう。

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