今日のみ言葉【No.1503】(2017年 3月28日) 074 「ラザロのよみがえり」(2)
それから弟子たちに、「もう一度ユダヤに行こう」と言われた。
(ヨハネ11:7)
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私の学生時代、下宿に医学部6年生の医師の卵がおられました。
部屋にはぎっしり医学書が並べられてあり、私は興味本位で
「本当に勉強しているのかな?」
とパラパラとめくってみました。
すると、全ページに蛍光マーカーや赤線が引いてありました。
「まさか!」
と思って手に取ってみた本全てがそうでした。その先輩は全部本当に読んでいたのです。
それ以来、私は医者に対する意識が変わりました。
「この方々はプロなんだ」
ですから、自分ではそうは思わない、感じない、まだ治っていないという状況でも、お医者さんが
「歩きましょう」「薬は続けましょう」「毎年検査しましょう」
と言われたら、「はい」と従うことにしています。
もちろんその際に十分な説明を受け、自分の考えも述べ、相談した上でのことですが、医師を尊敬することを基本的態度とし、指示に従います。
それでどれだけ得をしたか分かりません。
プロの診断は正確なのです。
イエス様も、いわば霊の世界のプロフェッショナルです。
ですから、人間の思いや感情と反することを要求されることがあります。
ヨハネ11章の最初の部分で、使いの者や弟子たちがそのことを体験しました。
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使いの者が2日間の戸惑いの期間を過ごした後、次は弟子たちが戸惑う番となりました。
イエス様が弟子たちに
「もう一度ユダヤに行こう」
(ヨハネ11:7)
と言われたことによって、彼らの心に波乱が起きました。
ユダヤに戻れば、つい最近味わった命の危険にまたさらされるのではないかと恐れたのです。
「そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。」
(ヨハネ10:31)
神の時を知るイエス様は、まだその時でないことをご存知でしたので、自分は捕らえられないという確信を持っておられました。
「そこで、彼らはまたイエスを捕えようとしたが、イエスは彼らの手をのがれて、去って行かれた。」
(ヨハネ10:39)
しかし弟子たちにはそんなことは分かりませんから、「神の御手に守られ、悠々と去ってきた」などというものではなく、「命からがら、ようやく難を逃れた」という印象しかなかったでしょう。
そこにまた戻れ、とイエス様は言うのです。
ここに、神の御心とその力とを知るイエス様と、霊的なことが全くわからない弟子たちとの圧倒的な差があります。
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ヨハネ11章のラザロのよみがえりの記事で私たちが出会うイエス・キリストは、理解できない行動をされる方です。
つまり、愛しているならどうしてこんなことをするの、ということをなさる御方だということです。
使いの者に関しては、
「なぜ愛するラザロが病気であると知っていながら、すぐ行かず、2日もとどまっていたのか?」
弟子たちに関しては、
「なぜ殺されるかもしれない所にまた行き、自分たちをもその危険に巻き込もうとするのか?」
しかしそれは私たちが神様から愛されていないということではなく、神は本当に私たちを愛しておられるので、事態をどんどん悪くなさるということなのです。
それが私たちに対する愛だとは、その時はわからないものです。
神の愛がわかり、イエス・キリストと出会っていたのだとわかるまでには、時間と経験が必要です。
その時まで神様は忍耐強く、あなたを待っておられるのです。
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息子が学校に行くと言っては「疲れた」と言って休むので、何とかならないかという相談を受けたことがあります。
お母さんのお話を聞くと、既に様々な専門家の方々のご意見をもらっているのがわかりました。
心療内科の医師からは、子供向けのアドバイスではなく、お母さん向けに
「あなたが子どもに手をかけ過ぎているので、お子さんは困っていません。困らせて下さい。そこからスタートです」
と言われました。さらに
「あなたは息子さんにご自分の姿を投影しておられます」
とまで言われたのですが、お母さんは
「学校に行かなくなって昼夜逆転の生活をしたら誰が面倒見るのよ!」
という思いで心がいっぱいになり、医師のアドバイスが全く入りません。
私はひとしきり話を聞かせていただいた後、タイミングを見計らって、「投影」ということを説明させてもらいました。
それは映画のように、息子がスクリーンとなって、母親であるあなたが自分の姿を投影して見ているのだということ。
息子を見ていると思っているが、実は息子の姿ではなく、自分の姿を見ているのだということ。
自分を受け入れておらず、むしろ責めているので、同じことをやっている息子を責めたくなるのだ、ということ。
そこで私は、
「お母さん、ご自分も息子さんと同じで、疲れてはやめ、疲れてはやめを繰り返す人生ではなかったですか?そして、こんなことではいけないと自分にむち打って、ようやく世間の基準を満たしている状態なのではないですか?」
という質問を向けてみたところ、
「そう言えば、その通りです。私は若い頃から何度も職を変えました。頑張って良い評価を得るのですが、不思議と続かなくてやめてしまい、また次の職場で頑張って…、を繰り返していました」
と感慨深げに話し始められました。お母さんは
「その自分ではダメだ、と思ってきたのですが、それを息子に見ているから気になってしょうがなくて、どうしても手放せなかったのですね」
と深いところまでお気づきになったようです。
私は
「お医者さんは正しいことを言っておられました。ご自分では『この医者、何もわかってない』とお思いになったかもしれませんが、その先生のおっしゃる通り、息子さんから手を放すことが鍵のようです。」
「しかしそうできないのは、自分を受け入れていないからで、ご自分を受け入れるようにし、責めないようにし、ゆるしてあげる修練をこれから毎日施していったら、息子さんのことなど全く気にならない日がやって来ますよ」
と言って、その日のカウンセリングを終わりました。
愛の中にいて、最も有効な言葉を聞いていても、人はそれに従うことに難しさを感じることがよくあります。
そこをポンと乗り越えていくポイントは、言った方を信頼する関係があるかどうかです。
お母さんと医師との信頼関係が復活した今は、スッキリした良き方向に向かっておられます。
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神の愛は、時に私たちの理解をはるかに超えています。
わからなくても信頼して歩んでいこうとする一歩を、今日、踏み出して参りましょう。
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