今日のみ言葉【No.1494】(2017年 3月16日) 072 「姦淫の場で捕らえられた女」(1)
イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
(ヨハネ8:6)
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聖書中で最も恵み深い話の一つが、このヨハネによる福音書第8章の姦淫の女の話です。
この出来事は朝早く、しかも宮の中でイエス様が人々に教えておられる時に起きました。
「朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。」
(ヨハネ8:2)
何と麗しい光景でしょう。
しかしそこに土足で踏み込んでくるかのようにして、来訪者が来ました。
「律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた」
(ヨハネ8:3)
その当時、姦淫は死刑に当たる重大な罪でした。このような律法があります。
「人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者があれば、その姦夫、姦婦は共に必ず殺されなければならない。」
(レビ20:10)
律法学者やパリサイ人の目的が、この女を死刑にすることであったのなら、律法に書いてある通り、相手の男も一緒に連れてこなければならないはずです。
しかし、ここにいるのは男ではなく女だけです。
彼らの訴えは不自然なのです。
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律法学者やパリサイ人の訴えには、巧妙な罠が仕掛けられていました。
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」
(ヨハネ8:4-5)
もしイエス様が、「律法通り、その女は死刑だ」と答えれば、今まで愛と赦しを説いていた教えに反するぞ、と責めることができます。
また、「女を赦してあげなさい」が答の場合は、「このイエスという男は律法を守らない人間だ」と非難することができます。
この女を赦しても赦さなくても、どちらでもイエス様を訴えることが出来るように、考えに考えられた計略だったのです。
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イエス様がとった態度は
「イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。」
(ヨハネ8:6)
というものでした。
何を書いておられたのかは分かりません。
ただ一つわかることは、イエス様の無言の時間が続いた、ということです。
律法学者やパリサイ人は苛立ちます。
人々はこれからどうなるのか固唾を呑んで見守ります。
女は衆人の目にさらされている恥ずかしさと、死の恐怖におびえていたままだったでしょう。
キリストの無言の時間は、人それぞれの状態をくっきりと浮かび上がらせるのです。
そして、その人の正体は何かを隠すことができないほど明確になるまでお待ちになります。
キリストが言葉を語られるのはその時なのです。
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米沢興譲教会がNHKのテレビで生中継されるという時がありました。
私は「ぜひ見て下さい」と700通のはがきを出して宣伝しました。
ところが当日、少年によるバスジャック事件が起こり、テレビでは中継映像が延々と続きます。
「早く解決してくれないかな。教会のテレビ放送ができなくなる」
私はだんだん心配になり、祈りました。
しかし、予定の時間になっても事件は解決せず、とうとうキャンセルということになってしまいました。
「あれだけハガキを書いて出したのに!」
憤懣(ふんまん)やる方ない私の心がお分かりでしょうか?
事件解決後、イエス様が私の心にスーッと入られ、こう語られました。
「今、犯人の少年をあなたの前に出したら、あなたはどうするか?」
私は「う〜ん」と唸ってしまいました。
「絶対怒りをぶつけるだろうな。でも、姦淫の女の話を学んでいるのだから、その怒りはしぶしぶ抑えるだろうな。しかしなあ〜、赦しますとは到底言えない自分だな〜」
これが私の答えでした。
その後のイエス様の答えはありません。
浮き彫りにされた自分の心を知り、それでその後どうするのかは私自身が決定しなければならないのです。
それまでイエス様は無言の時間を貫かれるのです。
そして、私の心が決まってから、イエス様は次のお言葉をかけられるのです。
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神の沈黙の時間は愛であることを知る今日として参りましょう。
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