今日のみ言葉【No.1489】(2017年 3月10日) 070 「5000人の給食」(2)
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」
(ヨハネ5:9)
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今年から飲食店での全面禁煙が始まるようです。
これは時代の変化(非喫煙者が8割)、社会の要請(受動喫煙の害、東京オリンピック)がありますから、当然そうなるでしょう。
大きな流れに逆らっていては何事もうまく行きません。
この流れに沿った経営をするお店が集客に成功し、繁盛していくのでしょう。
神の世界で生きる時、神の大きな流れに逆行すれば、なかなか御業を見ることができません。
しかし、その流れに沿った選択をする時、大きな御業を見ていくのです。
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イエス様はまずピリポを試され、次にアンデレの番になりました。
ピリポは理性的、常識的な人で、それが彼の持ち味であり突出した能力であったわけですが、我力の人であったことは否めません。
さて、アンデレの人柄を一言で言うと、単純率直で神を信頼する人、と言えましょう。
彼は5000人を養えという難問に対して、こういう答を持ってきます。
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。」
(ヨハネ5:9)
普通、パンの材料になるのは小麦です。
大麦で作るパンはヒビが入ってバラバラになりやすく、何よりもふっくら感が乏しい堅いパンが出来上がります。
しかも魚は干し魚です。
これは最も貧しい人たちの食料です。
そんな僅かなもので大勢の群衆を養うことなどできるはずがありません。
しかし彼は何かできるのではないか、と思ってイエス様の前にこれらを差し出したのです。
ただし、彼の心の半分は疑いが占めていました。
「しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」
(ヨハネ5:9)
という後半の彼のつぶやきがそれを表しています。
前半でグッと盛り上がり、後半でシュンとなっているのです。
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これが信仰のありのままの現実です。
信じるということは、疑いがあるからこそ成立するからです。
たとえば、朝、太陽が東から昇ることに疑いの余地はありません。
ですから、「明日の朝、太陽が東から昇ることを私は信じている」と言うのは無意味なことなのです。
一方、受験で合格するかどうかわからないが、受かると信じて勉強している学生さんの心の中には、絶えず「受からないかもしれない」という思いがあり、それとの戦いです。
ですから、推薦入学が事前に決まっている人は、合格を信じるということはできません。
また、はっきりと合格の見込みがない、とわかっていれば、信じるという行為はありません。
信じる人とは、颯爽と波に乗るサーファーのようなもので、疑いの大波があるからこそ信仰のサーフィンができるのです。
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あなたは疑いでグラグラ揺れている自分を恥じていますか?
疑いが来るからこそ、その大波に乗った大胆なサーフィンができるのです。
信仰のサーフボードは「大麦のパン五つと、さかな二ひき」でできています。
これをイエス・キリストのもとに持って行くことがサーフボードに乗ることです。
そうすると、疑いの波はあなたを進める推進力となります。
あとは、ボードの上に立つだけです。
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「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」
(ヘブル12:2)
この御言葉のとおりに生きる一日として参りましょう。
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