今日のみ言葉【No.1488】(2017年 3月 9日) 070 「5000人の給食」(1)
「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」
(ヨハネ6:5)
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これはキリスト教の教職者向けジョークです。
神に身を捧げ、献身して牧師になりたいという若い男性が教会に来たので、牧師は諮問にかけました。
牧「食べられない日があるかもしれないよ」
男「全て主に捧げます」
牧「命の危機があるかもしれないよ」
男「私の命はとうの昔に神に捧げております」
模範解答が相次いだので、牧師はガラッと雰囲気を変えてこう言いました。
牧「あのさー、好きな人と結婚できないんだよ。それでもいいの?」
男「えっ!いや、それだけは…」
牧「だってあなた今、全部神に捧げるって言ったじゃない?」
男「いや、結婚だけは自分の好きな人としたいんですけど…」
牧「はい、合格!今日にでも荷物をまとめていらっしゃい」
神に捧げているつもりで、実はどうしても手放せない自分がいることを知っている人こそ、同じように苦しんでいる方々に共感できる良い牧師になることができるからです。
「自分こそ罪人のかしらだ」という自覚のある人こそ、良き牧会ができるのです。
ピリポはイエス様の諮問にかけられた一人でした。
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イエス様と弟子の一行はガリラヤ湖を舟で向こう岸に渡られました。
その時、群衆が岸辺を徒歩で後を追ってきました。
成人男性の数だけで5000人ですから、女性や子供を加えると2万〜3万人の群衆に膨れ上がっていたと思われます。
今で言うなら、観客で満員のサッカー場や野球場をイメージしていただければいいでしょう。
イエス様はこの群衆をあわれむと同時に、彼らの具体的必要である「パン」の問題に目をとめられました。
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イエス様はまずピリポをテストなさいました。
「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」
(ヨハネ6:5)
2万人の人たちに給食せよ、という困難な問題をどう解決するか、という問いです。
ピリポの答はこうでした。
「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」
(ヨハネ6:7)
1デナリは成人男性が1日働いて得られる賃金でしたから、簡単のために1日1万円の日当としましょう。
200デナリ=200万円の予算で1個100円のパンを買えば2万個買えます。
ピリポの分析と計算は正確だったと言えます。
しかし、彼の答えの中には神に信頼する要素は一つもなく、100%人間の力が及ぶ範囲内での答えでした。
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課題が難しければ難しいほど、その人の本音が現れます。
「さて、どうするか…」と行き詰まった時には、私たちの我力の答しか出てきません。
もちろん、その時の模範解答は、
「天からの答があるに違いないと神に期待し、信頼して歩んでいきます!」
であることは分かっています。
しかし、イエス様はピリポにその模範解答を出させず、彼の本心を出すようにさせ、本当のピリポの姿と出会うようになさったのです。
イエス様は偽の私たちと出会うことは希望しておられません。
模範解答ではない、本当の私たちと出会おうとされているのです。
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ありのままの私たちと出会おうとされるイエス様と、今日も一緒に生きる一日として参りましょう。
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