今日のみ言葉【No.1486】(2017年 3月 7日) 069「ベテスダの池の病人 」(2)
イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
(ヨハネ5:8-9)
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武田鉄矢さんが、ご自身のラジオ番組で「大脳を使わずに小脳を使え」と語っておられました。
そうすると、ピアニストがいちいち考えなくても(大脳の働き)指が動いて美しい曲を奏でるように(小脳の働き)、身体はオートマチックに動いていくのだそうです。
たとえば、合気道の見取り稽古をする時、師範が技を数回見せてくれます。
その直後に、
「やってごらん」
と言って弟子である武田さんにその通りするように促します。
しかし実際にやってみると、
「ええと、右の足から動くんだっけ?左の足からだっけ?」
と一生懸命考えるのですが、わからないので動けません。
すると相手となっている先生が容赦なく逆襲を始め、揺さぶってきます。
その腕を振りほどこうとして自分の手を動かすと、すかさず先生が、
「それ!」
と言って稽古は終わります。
見せて教えた技を習得した動きを武田さんがした、と認められたからです。
これが大脳経由で考えることなく小脳で動く動き方です。
ベテスダの池の病人も、大脳の中にある思い込みが一掃される必要があったようです。
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8節のイエス様の言葉は非常に強い命令口調です。
「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」
(ヨハネ5:8)
ἔγειρε, ἆρον τὸν κράβαττόν σου καὶ περιπάτει.
3つの命令形があるこのギリシャ語原典を直訳すると、
「起き続けなさい」
「一度だけ、今、あなたのその床を取り上げなさい」
「そして歩き続けなさい」
となります。意訳すると、
「起き上がりなさい。今まではずっと寝続けていたが、これからは起き続けるのだ。そしてもうその床は敷くことはないのだから今すぐその床を1回だけ取り上げなさい。それであなたの床の役目は終わりだ。そしてこれからは歩き続けていく人生を始めなさい」
となるでしょう。
これによって彼の思いは全く入れ替えられてしまいました。
彼の心の中の「立てない」「歩けるはずがない」という思いが吹っ飛んでしまい、意識の中から一掃されました。
そして、彼の頭の中は「歩く」という思いだけになってしまいました。
そして本当に起きて、
「この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った」
(ヨハネ5:9)」
となったのです。
イエス・キリストと出会う時、私たちの心は一新され、身も心も新しい方向へと進み出すのです。
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カルト宗教から息子を脱会させようとして、ご両親が息子さんを教会に連れて来られました。
彼は教会で過ごすうちに、不思議な違和感を覚えました。
彼は、
「とにかく自分の精一杯のことをやり、頑張って命がけで目標を達成すること」
が信仰だと思っていました。
ところが、この教会に来る方々は、
「神がありのままの自分を愛して下さり、その自分に神が最善の方法で働いて下さる」
と信じていることに気づいたのです。
教会の方々からあふれ出る平安と喜びを見た時、ふと自分の心を点検すると、信仰があると思っていた自分には平安はありませんでした。
ただ目標に追われ、目標を達成すれば自分の頑張りのせいだと喜び、目標に届かなければ自分の不十分さを責め続け、もっと頑張らなければならないと追い立てられているのが自分の実態だったのです。
いつしか心が疲れていた自分。彼はそのことに気づかされました。
彼の心の中を占めていた「そんなことでどうする!もっと頑張れ!」という思いは薄れ去り、代わりに、試練の中にあっても変わらない平安と喜びを得たいという思いに変わりました。
彼は自分の頑張りで救いを得ようとしていたことが罪であったのだと示され、自分の罪の身代わりとして十字架について下さったイエス・キリストを受け入れました。
その後の彼は、伝道者としての召しを受け、生き生きとイエス様の福音を伝える人生を歩んでおられます。
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新しい心にして下さるイエス・キリストの恵みを受ける一日として参りましょう。
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