今日のみ言葉【No.1471】(2017年 2月 9日) 065 「宮きよめ」(1)

なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。
(ヨハネ2:15-16)

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海外旅行に行く時、その国の通貨と両替をします。

簡単のために1ドル=100円とすると、数学的には10万円=1000ドルです。

しかし、手数料がかかりますから、10万円を両替するために銀行に持って行くと、1000ドルよりも少なく渡されます。

帰りはその逆になって、1000ドルを円に替えると10万円より額は少なくなります。

私たちは適正な手数料だと思って納得しています。

しかし、イエス様が宮きよめをされた背景には、商人たちと神殿当局者らの不正な取り決めがありました。

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神殿の境内(異邦人の庭)には市場が開かれていました。

何のためかというと、律法の規定を満たした捧げものを売るためです。

たとえば、遠方からはるばるやって来る巡礼者が、供え物として羊や牛を連れてくるのには相当手間がかかります。また、長い道中、怪我をして傷ついているかもしれません。

神への捧げものは完全なものでなければなりませんから、神殿の祭司らによって事前に検査されます。

「これは足に傷があるので捧げものとしては不完全です。認められません」などと判断されれば、巡礼者のせっかくの努力が水の泡になってしまいます。

そこで、そのような人々の便宜のために、いけにえの動物を売る市場が認められていたのです。

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ところが、これが「うまい儲け話」へと変化していきます。

商人たちが祭司らに賄賂を送り、「絶対に認めないで下さい」と頼みます。

すると巡礼者たちは、自前で持ってきたものが全て否定されますから、神殿の市場で販売されているものを買うしかありません。

売る側としては、相当高額でも売りつけることができます。

ですから、ボロ儲けした利潤の一部をまた賄賂にして出したとしても、彼らの腹は痛まないわけです。

神殿当局側としても潤います。

両者に利益があるので、この関係は維持され、いつしかそれが「当たり前の正しいこと」としか感じられなくなっていたのです。

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イエス様は、両替制度や商取引に怒りを覚えられたのではありません。

不正によって利を得、神の名を借りて人を食い物にしていることに義憤を覚えられたのです。

「なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし」
(ヨハネ2:15)

イエス様がこのようなむき出しの感情で、激しい行為に及ぶのは珍しいことです。

神殿はどのような場所であるべきか。

聖なる場所であるべきなのです。

ですから、

「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」
(ヨハネ2:16)

と叫ばれたのです。

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いつの間にか当たり前になっていること。

そこにイエス様は来られ、きよめて下さるのです。

罪ゆるされ、きよめられた者として今日も歩んで参りましょう。

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