今日のみ言葉【No.1433】(2016年12月10日) 051 「大祭司カヤパ」(3)
それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、「キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか」。
(マタイ26:67-68)
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オーストラリア旅行の際に、羊牧場見学がありました。
羊の毛をアッと言う間に綺麗に剃り上げるショーを見た後、生後1ヶ月程度の子どもの羊に哺乳瓶でミルクを飲ませる体験をしました。
この世にこんな可愛い生き物があるかと思うほど、小羊は愛らしく、何の疑いもなく人間の私に近寄ってきます。
「神の小羊であるイエス様の従順とはこういうものだったのだろうなあ」
と思わされました。
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死刑判決を下されたイエス様は、残虐な仕打ちを黙々と受けていきます。
マタイ26章57節〜68節の記事を読むとき、この出来事はイエス様がどのような方であるかを明確に告げています。
「それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、『キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか』。」
(マタイ26:67-68)
これはメシヤ預言の成就です。
「主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは、そむくことをせず、
退くことをしなかった。
わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、
わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、
恥とつばきとを避けるために、
顔をかくさなかった。」
(イザヤ50:5-6)
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イエス・キリストが犠牲の小羊として100%完全に従って下さったお陰で、私たち人間は神と再びつながれる道が開かれました。
キリストの十字架は私の罪のためであった、と信じるだけで救われる世界が始まったのです。
救いという贈り物は無償で与えられています。
今それをいただき、しっかり自分のものとしていきたいものです。
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