今日のみ言葉【No.1434】(2016年12月12日) 052 「イエスを三度否んだペテロ」(1)
ペテロは下で中庭にいたが、大祭司の女中のひとりがきて、ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
(マルコ14:66-67)
——————
仕事柄、様々な人のお話を聞かせていただきます。
その中で、「この人は明白な嘘をついているなあ」と分かる時があります。
そういう時の鉄則は、騙されたふりをしていることです。
「それは大変だ。無理もない。」
するとその人は、もう嘘をついて自分を守る必要がないとわかるので、心に鍵をかける必要はなくなります。
そこから自分でも思いもよらなかったことを話してくれることがよくあります。
人を騙して自分の得になるように嘘をつく人もいますが、大多数の方々は自分を守るために、あまり考えずに「とっさの嘘」をついているように思います。
弱さを責め立てて収穫を得ることは稀です。
むしろ責めれば責めるほど、人は自分を守るために嘘を重ねます。
弱さは受け入れられ、そして強さを身につけるように養われ、成長させられる必要があるのではないでしょうか。
やがて、嘘をつかなくても自分の安全は守られているという実感を得、ありのままの本当の自分を出すことができるようになるのでしょう。
ペテロは自分の弱さと出会い、そしてその弱さを包むイエス・キリストとの出会いをしました。
-*-*-*-*-*-*-
ペテロはイエス様が捕らえられた直後、他の弟子たちと同様に逃げて行きましたが、その後、戻ってきました。
しかし、「我こそはイエスの弟子なり!」と大声で叫んでイエス様のもとに行った…、とは書いてありません。
大祭司カヤパ邸の中庭まで入って行き、そこにいる人々と共に焚き火にあたっていた、とあります。
「ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まではいり込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。」
(マルコ14:54)
ペテロはどのような思いでそこにいたのでしょう。
また他の弟子たちのように、なぜ逃げなかったのでしょう。
ペテロの心境を察する時、名もなく力もないはずの女中の言葉に大きく動かされた理由が分かります。
-*-*-*-*-*-*-
ペテロは女の
「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」
(マルコ14:66)
という言葉におびえました。
イエスの弟子だということが明らかになったら、自分の命が危ないと瞬間的に考えたからです。
そこで彼は思わずその言葉を否定してしまいました。
彼はこの一つの嘘によって自分の身を守りましたが、もっと大きなものを失うことになってしまいました。
この後、イエス様との関係を否定する嘘になり、3回目には呪われてもいいと誓うほどの嘘にエスカレートしていきました。
-*-*-*-*-*-*-
ペテロの否認の記事は、四福音書全てに書かれてあります。
イエス様誕生の記事でさえ、マタイとルカの二つの福音書だけにあり、マルコとヨハネには記載されてありません。
ペテロが3度イエス様を否んだということは、クリスマスの出来事以上に重要視されていたことなのだと分かります。
それは、この一連のいきさつほど人間の弱さを表しているものは他にないからです。
ペテロほど自分を知らないで生きていた人間はいません。
自分の本当の姿を知らず、自信過剰であることがわからず、大言壮語して、その後、自分の本音が丸出しになり、大失敗を繰り返す彼の姿…。
それはまぎれもなく私たち人間に共通する姿であり、その弱さこそがキリストの愛の対象になるのです。
-*-*-*-*-*-*-
自分の弱い部分が、キリストとの最も強い絆の部分となります。
この神の奇跡を体験する今日として参りましょう。
-*-*-*-*-*-*-
※御言葉メールが届かない方へ
ご自分の「迷惑メール設定」を変更し、
maruyama@mikotoba.org
を受信許可に設定変更して下さいますようお願いいたします。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません