今日のみ言葉【No.1388】(2016年10月17日) 036 「マルタとマリヤ」(1)

この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
(ルカ10:39)

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スマホでまだ音声認識機能を使ったことがない方に朗報です。

あれは小声でささやいても文字にしてくれます。

試しに、マイクの絵のアイコンをポンとタッチし、スマホを口元に持ってきて、

「おいしいらーめん」

とささやいてみて下さい。

すると、

「美味しいラーメン」

と変換され、あなたのご近所のラーメン屋さんの地図が表示されます。

「大きな声で、正確に、はっきりと発音しないとダメなのかな〜」と思っていた私は、とても人前でそんなことはできませんでした。

しかし今は違います。

スマホとは「ひそひそ話」で十分だとわかったからです。

どんな小さな人の声でも、今のスマホは聞き分けてくれます。

有名なマルタとマリヤの話も、聞くということがメインテーマです。

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イエス様の一行は、旅の途中、よくベタニヤに滞在されました。

そこにはマルタとマリヤの姉妹、そしてその弟のラザロがいました。

体が食べることで力を得るように、心は人との良き交わりによって力を得ます。

イエス様は神であると同時に人でしたから、仲の良い仲間と過ごすひとときによって心に力を得ていたことでしょう。

さて、姉のマルタはイエス様一行をもてなすために大忙しで働いていました。

ところが、手伝いが必要な時に、妹のマリヤがイエス様の足元で御言葉に聞き入っている姿を見つけました。

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この個所を読むと、働き者の姉がグウタラな妹に腹を立て、あわててイエス様がケンカを仲裁しているように見えます。

しかし、ルカによる福音書10章38節〜42節のマルタとマリヤの記事は、実は25節の律法学者の質問に対する2つの答のうちの1つで、神を愛するとはどういうことかを具体的に説明している所なのです。

隣人を愛する答として「善きサマリヤ人」の話が、続いて、神を愛する答として妹マリヤの姿が記されています。

神を愛するとは、

「主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。」
(ルカ10:39)

つまり、神の御言葉を聞くことです。

そこに全身全霊を費やし、それ以外の一切のことをしない。

これが神を愛する究極の姿だとイエス様は教えられたのです。

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聖書のみ言葉に聞き入る今日の一日として参りましょう。

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