今日のみ言葉【No.1387】(2016年10月15日) 035 「重い皮膚病にかかった十人の人」(3)
イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。
(ルカ17:17-18)
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癒されて引き返してきたのは、十人のうち一人でした。
しかもその一人はユダヤ人ではなくて、サマリヤ人でした。
他の9人はどこへ行ったのでしょう?
答えは簡単です。
イエス様に言われた通り、祭司のところへ直行し、病が癒されたとの証明を受け、元の生活を取り戻しに行ったのです。
では、なぜ帰ってこなかったのでしょう?
答えは簡単です。
あんな村へはもう二度と戻りたくなかったからです。
「もう終わりだと思っていた人生をやり直すことができる」
「これからは自分の人生を生きることができる」
そのように思っている人は、わざわざ忌まわしい思い出のある場所に戻ろうとはしません。
むしろ、キッパリと別れを告げ、その記憶を消してしまおうとさえするでしょう。
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ところが、一人だけ引き返してきたサマリヤ人がいます。
彼は何をしに帰ってきたのでしょうか?
彼は祭司のところに行く途中で、自分の身体が変化し、重い皮膚病が癒されたことを知りました。
この癒されたサマリヤ人が他の9人のユダヤ人と違ったところは、
「大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」
(ルカ17:15-16)
という行動です。
彼は、神をほめたたえるため、そして神に感謝するために帰って来ました。
ここが重要なところです。
というのは、
「イエスは彼にむかって言われた、『きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか。』」
(ルカ17:17-18)
と語られたところから察するに、イエス様の御心は、
「癒された者全員がそのことを神に感謝し、その後の人生を神をほめたたえながら喜んで生きること」
だったからです。
ただし、それはあくまでも本人の自由であり、本人の選択です。
イエス様は、癒された後、自分のための新しい人生を生きる方向に向かい、戻ってこなかった9人を責めてはおられません。
神は感謝や賛美を強制される御方ではないのです。
また、義務や強制でする感謝は本物とは言えません。
神は純粋な感謝と賛美をお望みですから、人間に100%の自由を与えておられます。
それゆえに、自分から戻ってきたこのサマリヤ人の行動を認めた後、
「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」
(ルカ17:19)
と、さらなる自由を与えていかれたのです。
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イエス・キリストと出会うと、人生は更に自由になっていきます。
神をほめたたえるために神に立ち返る一日でありますように…。
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