今日のみ言葉【No.1341】(2016年 7月29日) 020 「嵐の湖上で死にそうになった弟子たち」(1)
「向こう岸へ渡ろう」
(マルコ4:35)
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建物や施設の非常口には、人が駆けていく姿のイラストがあります。
あれは世界共通のサインで、日本人がデザインした日本発信のものです。
「非常口」の漢字3文字さえ書いてあれば良さそうに思いますが、実際はそうはいきません。
人はパニックに陥ると思いもよらない行動をとるからです。
たとえば、「火事だ!逃げろ!」となった時、人はいつも自分が使っている通路、階段、エレベーターに向かうそうです。
冷静であれば非常口に向かうのでしょうが、とっさの時は別の方法が考えられません。
ですから、2歳児でも分かる単純明快なイラストが非常口のサインとして使われているのです。
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マルコ福音書第4章35節〜41節の記事で、弟子たちはパニックの中でイエス様との出会いを体験しました。
彼らが舟でガリラヤ湖を進む途中、嵐が起き、波が船の中に入り、沈みそうになりました。
弟子たちは自分の身に危険を感じ、こんなことを口走ってしまいました。
「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」
(マルコ4:38)
平常時なら、自分の尊敬する先生にこんなことは言わないでしょう。
それくらい彼らは追い込まれ、自分のことしか考えられない状態にあったのです。
特に、
「イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。」
(マルコ4:38)
とありますから、なおさら腹が立ったのでしょう。
しかし、イエス様は眠っておられました。
もっと正確に言うと、眠っていることができたのです。
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イエス様はこのような事態になることをご存知だったのでしょう。
これから夜に向かって暗くなる夕方という時を選び、あえて
「向こう岸へ渡ろう」
(マルコ4:35)
と弟子たちに命じられたのには、彼らに学びの時を与えるという意図があったと思われます。
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イエス・キリストは私たちの人生に平安をもたらしますが、その前に、あえて
「向こう岸へ渡ろう」
(マルコ4:35)
と私たちに呼びかけられ、嵐の中を通らせることがあるのです。
波が舟の中に満ち、自分が拠り所としているものがいかに頼りないものであることを悟らしめ、本当に信頼できるものが何であるかを知らせるために、イエス様は私たちの人生に波乱を起こさせるのです。
真の平安を得る前に嵐が、そしてその前に、
「向こう岸へ渡ろう」
(マルコ4:35)
という神からの呼びかけがあります。
なぜこんな時に?
しかし、私たちの考えを一歩引っ込め、キリストの御声に聞き従っていく時、平安そのものであるイエス・キリストとの出会いがあり、「嵐の中での平安」を体験することができるのです。
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山形の食材に特化したジェラードを作るお店を出そうとした時のK兄がこれを体験なさいました。
今までのお店でも十分やっていけるのですが、神様は自分を新たな方向へ進み出させようとしていることを感じ、チャレンジなさいました。
彼は社長として営業に出なければなりませんが、内向的な性格なのでそれは苦手な分野でした。
出発点でのいきなりの嵐。しかもそれは自分自身のうちにあるものなので、人のせいにはできないものです。
神の御心と信じて進むときに、意外にも自分がそれを妨げていると知ることは、大きな壁にぶつかったような感覚だったことでしょう。
さて、そんなK兄の転換点となったのは、新たに教会の会堂が建てられ、記念の献堂式に出席した時でした。
来賓のお歴々を目にし、その方々も自分たちも一緒に神の前でお祝いをする、という光景を目にした時、
「ああ、神様の前ではどんな人も平等なんだな」
と腹の底から分かる体験をしたのです。
その時から、人と会うことに恐れを感じることが減っていきました。
神の平安をいただいたK兄は、神の恵みをジェラードを通して届ける人生を送っておられます。
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主の御声を信じて進む一日として参りましょう。
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