今日のみ言葉【No.1274】(2016年 4月22日)

見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
(ゼカリヤ9:9)

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ろばと馬は対照的です。

ろばはゆっくりと歩き、馬は速く走ります。

ろばは農耕や荷物の運搬などの平和な目的に使われ、馬は戦争のための軍馬として用いられます。

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神が遣わすメシヤ(救い主)は、力でもって世界を屈服させ、全世界を平定する、馬に乗った王としてではなく、ろばという平和の象徴に乗った柔和な王として来られます。

この預言はイエス・キリストのエルサレム入場時に成就されました。

「イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。それは『シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる』と書いてあるとおりであった。」
(ヨハネ12:14-15)

私たちが神に願う時、手っ取り早く問題を解決してくれるメシヤを期待します。

それは愛馬ブケパロスに跨がり、敵陣深くまであっという間に切り込んで、またたく間に征服していったアレクサンダー大王のような力あるメシヤ像です。

しかし、キリストはろばに乗った王として来られました。

私たちが神に問題解決を祈り願う時、それは勝ち負けで決着がつく形ではなく、平和がもたらされる方向へと進められていくのです。

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教会の中高生を指導するM先生は、子供の頃からクリスチャンのお母さんに連れられて教会に来ていました。

しかし彼女はずっと神様と距離を保っていました。

教会へは礼拝に来るのだという思いはほとんどなく、小学生の頃は遊びに、中高生の頃は友達と会っておしゃべりをし、普段の憂さを晴らすために教会に来ていたようなものでした。

その証拠に、彼女は教会の集会中、みんながゴスペルソングを賛美する中、口を閉じて決して歌わないでいたのです。

お母さんはじっと辛抱強く、娘の救いのために祈りました。

議論で説得して洗礼を受けさせようとしたのではなく、娘の心の痛みを知る柔和な救い主に委ねたのです。

M先生は様々な紆余曲折を経て、自分の意志で洗礼を受け、神を信じ、イエス様を救い主として受け入れました。

以前、決して賛美しない「かたくなな心」としか見えなかったその性質は、今度は「強固な信仰」という形となって現れました。

今やM先生は歌っています。

しかも、中高生の集会のリードボーカルとして積極的に賛美をし、人々を神に導く奉仕をなさっておられるのです。

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柔和なイエス様に委ねる一日として参りましょう。

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