今日のみ言葉【No.1715】(2018年 2月28日)「 敬虔な信仰」
父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。
(ヤコブ1:27)
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敬虔な信仰は生活に現れます。
神学的な難しい議論はよく分からなくても、その人が実際に行っている生活を見れば、その人が信じていることがよく分かるということです。
聖書はこう語ります。
「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない」
(ヤコブ1:27)
ただし、神とのベルトがかかっていない状態でこれをやると、ガンバリズムになります。
調子のいい時は「助けてあげよう」と困っている人を探しますが、自分の調子が悪い時は困った人を見つけないように避けます。
他者を愛せる自分だけを認め、嫌いな人がいるという自分を抑圧して出てこないようにするので、いつしか人と会うことに息苦しさを覚え出します。
そして、「今日は大丈夫かな?」とチェックしないではいられない毎日を送ります。
我力でやるとこういう事態になるのです。
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仮に、調子がいい時の自分を80点、調子が悪い時の自分を20点としましょう。
常に80点の自分でいたいものです。しかし、自分の本体は20点です。
20点のまま80点を演じようとするのはかなり無理があります。
ですから人前では気が張り、家に帰って一人になるとストンと力が抜け、疲れきってしまうのです。
そのような人は、常に80点を取るのが自分だということをあきらめ、20点の自分を認めるといいのです。
そうすると、とても楽になります。
同時に、「本当にこんなことでいいのか」という罪悪感めいたものを感じます。
しかし、背の低いザアカイが木の上に登った時、イエス様は
「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」
(ルカ19:5)
と言われました。
イエス・キリストは20点のあなたと会おうとしているのです。
なぜなら、それが本物のあなただからです。
もう一度木に登りたくなる衝動を抑え、今度は地面の上にしっかりと足を据える生活を始めてみましょう。
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20点に下りて、その自分で良いとされている平安。
それを味わい、自分でも20点のままの自分を受け入れると、
「80点の自分でいようとしていて、なんと自分は傲慢だったのだろう」
と本当に心からそう思えます。
これが真の悔い改めです。
そこから始まる「行い」を神は待っておられるのです。
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神が待っておられる本当の自分の位置まで下り、そこで味わう平安を体の隅々にまで広げましょう。
そして人を愛する行動に出る一日として参りましょう。
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