今日のみ言葉【No.1272】(2016年 4月20日)
はたして、わたしのために断食したか。
(ゼカリヤ7:5)
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1週間の断食をすると、3日目が飢餓感のピークになり、4日目からは意外とつらくなくなるそうです。
私の個人的体験でも、断食3日目の早天祈祷会の後、
「あれ、おにぎりがない!」
と自分の後ろに置いてあったと思い込み、手探りで探し回り、しばらくしてハッと我に返った思い出があります。
その日には、あるはずのない食物を想像しただけで、本当にその「匂い」をかぐことが出来ました。
しかし断食祈祷の本来の目的は、霊的部分が磨かれることです。
肉体が衰える分、霊的部分が表に出てくる感覚は、断食祈祷をしてみて初めてわかることです。
一般の断食は、ダイエットや精神修行等のためになされるのでしょう。限度を越えなければ何の問題もありません。
しかし、聖書でいう断食には神が求める目的があります。
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第7章では、民が断食をすべきかどうかゼカリヤに尋ねてきます。
神殿工事が順調に進んできたのに、それを中断することもなかろう、という意があったのかもしれません。
あるいは、めでたく神殿が出来上がるのだから、嘆きの断食をしても意味がなかろう、ということであったのかもしれません。
神の答えは意外なものでした。
「はたして、わたしのために断食したか。」
(ゼカリヤ7:5)
今まで何十年も断食の規定を守ってきたのだから、「よくやった」とほめられると思いきや、その断食は神のためにしていたのではないと断罪されたのです。
彼らの断食は、自分たちの不幸を悲しみ、嘆くための断食でした。
つまり、他者を生かすための断食ではなく、自分のための断食に終始していたということです。
そして既にそれは形骸化していたことを神はゼカリヤを通して指摘なさいました。
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神が求める断食は、次のことを実現するための断食でした。
「真実のさばきを行い、互に相いつくしみ、相あわれみ、やもめ、みなしご、寄留の他国人および貧しい人を、しえたげてはならない。互に人を害することを、心に図ってはならない」
(ゼカリヤ7:9-10)
断食をすると、たった一食抜いただけで、こんなにも人間は弱るものか、と自分の本当の姿を知ります。
弱い者の気持ちがわかり、神の意図が霊的にわかり、弱者に愛の御手を差し伸べること。
これこそ神が私たちに求めておられることです。
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A姉のご主人の胃ガンが発見された時、進行性のため余命が限られていることを医師から告げられました。
一縷の希望を託し、Aさんご夫妻は抗ガン剤投与を選択せず、ある民間療法を選択なさいました。
しかし、病状はどんどん悪化するばかりです。
A姉は
「神様、夫はどんな悪いことをしたのでこんな苦しい目に遭うのですか」
と神様に祈る日々が続きました。
このような時に、周囲の人は「神様は最善以外なさらないのですよ」などと言うことはできません。
確かにそれは聖書的で正しいことなのかもしれません。
しかしそう言われた当の本人にしてみれば、「これのどこが最善なのか?!」と、気持ちがかきむしられる思いがするものです。
しかし、A姉にズバリとそう言った人がいました。
「あなたね、神様は最善以外なさらないのよ」
その方は、既にご主人を亡くしたクリスチャンの方でした。
先にその苦しみを味わった人だからこそ言える言葉だったのでしょう。
A姉の心にはその言葉がスーっと入ってきました。
そして、「そうだ、神様は最善以外なさらないのだ」と勇気を得、夫との残りの日々を全力で過ごされました。
その時を振り返って、A姉は
「夫はモルヒネを1本も打つことなく、ガン末期の苦痛を味わうことなく天に召されていった。」
と神の最善を見出しておられます。
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あなたの味わう苦しみは、誰かのために愛の人となるための神からの贈り物です。
他者を生かす者とし、さらなる成長の一歩を踏み出させていただきましょう。
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