今日のみ言葉【No.1205】(2016年 1月12日)
神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを得させられた
(ダニエル1:9)
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オーストラリアに教会研修で行った時、私の名前「マルヤマ(Maruyama)」は彼らには長かったらしく、英語風の発音で「モーリー(Morley)」と呼ばれました。
アメリカでピーター・ワグナー教授のクラスを受講した時には、名前の「ヨシヒロ(Yoshihiro)」の方から「ヨシ(Yoshi)」と呼ばれました。
後で振り返ると、スーパー・マリオ・ブラザースの「ヨッシー」というキャラクターと同じ発音なので覚えやすかったのでしょう。
大相撲の横綱の名前が「ムンフバティーン・ダワージャルガル」では日本人は馴染めないので、「白鵬(はくほう)」と日本名になっているのと同じです。
聖書でも、異国の地バビロニアで名前を変えさせられたのがダニエルです。
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ダニエルと3人の仲間は、バビロンへの最初の補囚メンバーでした。
彼らは貴族出身で優秀な者たちだったので、選ばれて連れて来られたのです。
ネブカデネザル王の目論見は、彼らを自分たちの文化と同化させ、独自の民族性を薄め、バビロニアの国民として支配しやすいようにすることでした。
王は捕虜の身分であるダニエルらに破格の待遇を施します。
「そして王は王の食べる食物と、王の飲む酒の中から、日々の分を彼らに与えて、三年のあいだ彼らを養い育て、その後、彼らをして王の前に、はべらせようとした。」
(ダニエル1:5)
イスラエルの民のリーダー格であるダニエルらを手なづけ、同民族の彼らを通してイスラエルを支配しやすくしようとする王の下心が見え見えの食事だったのです。
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窮地に追い込まれた時、相手に対して反応するのではなく、神の前に自分はいかにあるべきか、に注意を集中することが鍵です。
ダニエルはネブカデネザル王に対抗しようとしたのではなく、神の前に生きる姿勢を問題としました。
それが
「ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めた」
(ダニエル1:8)
ということです。
王と喧嘩をすることではありません。
律法に反する汚れた食物(例:血抜きされていない肉)を知らずに口にして自分の身が汚されることがないように、ということだったのです。
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彼はそれを過激なやり方ではなく、穏やかに、理性的に行いました。
それが
「宦官の長に求めた」
(ダニエル1:8)
ということです。
神の守りを信じ、安心して歩む人は、暴走したり、順番を無視して乗り越えようと焦ることはありません。
ダニエルは順序を踏んで、担当の役人に伺いを立てました。
すると、
「神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを得させられた」
(ダニエル1:9)
とあります。
このことで、食の問題を回避することができただけでなく、ダニエルらが更に優れた者であることが明らかにされていったのです。
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神は恵みとあわれみを与えて下さる御方です。
今日も安心して歩んで参りましょう。
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