今日のみ言葉【No.1187】(2015年12月 1日)
主の言葉がわたしに臨んだ
(エゼキエル32:1)
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私の海外旅行の必需品のひとつに「塩昆布」があります。
食事が違う、水が違う、空気が違う、時差が違う…。外国では異なった環境の中でストレスがたまります。
そこで塩昆布を一口食べると、なぜかスーッと心が収まります。
そしていつもの自分を取り戻せるのです。
その味なのか含まれているミネラルなのかは分かりませんが、とにかく私にとって塩昆布は効くのです。
人によってそれは梅干しかもしれませんし、緑茶かもしれません。
外から与えられたあるものによって、人は大きく動かされます。
エゼキエルにとって、それは神の言葉でした。
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預言者エゼキエルをはじめとするイスラエルの民は、バビロンという異国で、補囚という不安定な立場におり、そこで母国の滅亡の知らせを受けます。
全く希望が見えない悲惨な状況の中に置かれると、人間は自分の心を守るため、無感動、無感覚、無関心になろうとします。
本当は、希望を持ち続け、神に祈り、積極的に他者を助けることが命を健康に保つための模範解答なのです。
しかしそれができないほどの状況に陥ることが、人生ではままあるのです。
「第十二年の十二月一日」は、エルサレムが陥落して1年後です。
ちょうどそのような時に
「主の言葉がわたしに臨んだ」
(エゼキエル32:1)
のです。
それはかの大国エジプトの滅亡の預言でした。
どんな超大国であっても、神の御心にそぐわなければ滅びる運命にある。
人間の上に存在する神の力を知らされ、エゼキエルは力を得ました。
そしてこれを失意の民に力強く伝え、やがて来る回復の時まで民を精神的に養ったのです。
出口が見えない苦難の中にあって、神の言葉は人を支えます。
そして神の御言葉は、ある時、突如として現実のものとなるのです。
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ちょうど今放送されているNHKの連続テレビ小説「あさが来た」。
主人公「あさ」のモデルとなったのは、広岡浅子という幕末から大正にかけて活躍した女性実業家です。
男尊女卑が当たり前の時代にビジネスの世界で成功したのですから、彼女は相当な心意気を持った人で、座右の銘は「九転十起」。
勝つためならば何度でも立ち上がるという強い意志の持ち主でした。
その浅子の転機は還暦(60歳)の時に訪れました。
乳ガンと診断され、彼女は命の終わりを覚悟し、身辺の整理をします。
手術後、自分の命は天が何かをせよと言って貸したものではないか、と考えるようになり、その年の暮れに牧師と出会います。
そこから彼女は自分の力で人生を切り開いてきたと思っていたことが何と傲慢であったかと気づかされ、キリストの十字架で罪ゆるされることを信じ、明治44年(1911年)大阪教会で洗礼を受けます。
彼女の愛唱聖句は
「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である」
(第1ヨハネ3:2)
神の言葉は人を変えるのです。
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神の言葉を待ち望み、御言葉によって生かされる今日として参りましょう。
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