今日のみ言葉【No.1140】(2015年 9月26日)

十日の後、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
(エレミヤ42:7)

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大相撲が開催される両国国技館の自動販売機が故障中です。

その張り紙が秀逸だと話題になっています。

赤い字で大きく

「休場」

と印刷され、その字の脇には

「怪我が治り次第、出場いたします。今後とも応援よろしくお願いします。」

との説明が添えられています。

なんとも粋な取り計らいです。

これを写真に撮る人はいても、揺すったり叩いたりして無理に動かそうとする人はいないでしょう。

しかし、そのようにしたのがエレミヤ書第42章に出てくる人々でした。

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前章で総督ゲダリヤが暗殺された時、バビロン軍から派遣されていた兵士たちも巻き添えになり、殺されました。

バビロンからの復讐を恐れた人々は、エレミヤの所に集まり、今後どうしたら助かるのか、神にお伺いを立ててくれと彼に頼みにやって来ました。

エレミヤはこの願いに対して忠実に神に祈りましたが、神の答を得るまでには時間がかかりました。

「十日の後、主の言葉がエレミヤに臨んだ。」
(エレミヤ42:7)

この10日間、人々は「バビロン軍がいつ来るか」という恐怖に支配され、神への信頼どころではなくなったようです。

エレミヤに伺いを立てていたにもかかわらず、彼らは安全に見えるエジプト逃亡を既に決めてしまったのです。

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時満ちて、エレミヤが神から与えられた言葉は、

「主は言われる、あなたが恐れているバビロンの王を恐れてはならない。彼を恐れてはならない、わたしが共にいて、あなたがたを救い、彼の手から助け出すからである。」
(エレミヤ42:11)

という言葉でした。

つまり、彼らが考えているエジプト逃亡は逆に滅びの道だと告げたのです。

これを聞いた人々は、途端にエレミヤを偽預言者呼ばわりします。

祈りの答が自分たちの思い通りのものではなかったからです。

神にゆだねることができず、待つことができなかった…。

これが現実の人間の姿であり、大きな代償を払って、神にゆだねることが最善であることを私たちは学んでいきます。

聖書はこう語ります。

「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」
(サムエル記上15:22 )

神の御言葉に聞き従うことが最善なのです。

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これは私の個人的経験からのことですが、私が

「いやだなー」

「やりたくないなー」

と思うことは、大概神の御心に間違いありません。

神が服従を求められることに、私の肉の思いが「抵抗」という形で表示されているのです。

また、

「どうも心に示されるなあ…」

という時があります。

私は心配症で、否定的考えに傾きやすく、神経質過ぎるところがあるので、こういうことはよくあります。

全部示されることを行ったら、日常生活は行えません。また、それらが全部正しいとは限りません。

そこで私は周りの人に聞きます。

「今の私、おかしくない?」

「こういう考えって、変じゃない?」

そうやって、家族や教会の方々、友人に話をし、思いを外側に出してみると、段々正しい方向に軌道修正されていきます。

それでも示されることは、多少の損は想定内、として思い切って行動に移します。

すると、まさか会うはずのない人に声をかけられたり、敵だらけと思っているところで思わぬ味方がいたり、というような体験をします。

神の声に従おうとする者に対し、神は不思議なやり方で「共にいるよ」と示して下さるのです。

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主のみ声に聞き従う今日の一日として参りましょう。

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