今日のみ言葉【No.3355】(2024年 5月15日)「獄屋でのヨセフ」
獄屋番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。
(創世記39:23)
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横浜中華街の有名店で料理長をしている方が教会に来られ、教会スタッフのために昼食を作ってくれることとなりました。
彼は食材を買いに出かけましたが、行った所はなんと地元のスーパー。
買ってきたのもありきたりの食材で、目立つのはオイスターソースくらい。
普通の台所のガス台で調理をし始め、出来上がる頃には今までかいだことのないくらいの良い匂い!
料理のおいしさもお店レベルで、プロの手にかかると同じ食材でもこうなるのかと一同驚きながらあっという間に食べ終わりました。
調理する場の環境は異なれども、シェフが行う基本は同じで、それがおいしい料理となって現れたのです。
ヨセフも同じで、彼は獄屋の中にいても基本的生き方は変わらず、それゆえ、神の御手が彼の上にありました。
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ヨセフはポテパルの妻の偽証により獄屋に入れられましたが、
「主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた」
(創世記39:21)
とあります。
獄屋番の恵みを受けたということですから、彼が牢獄の管理者の好意を得たと推察できます。
どんな良きことが起こったのでしょう。
次の22節に、
「獄屋番は獄屋におるすべての囚人をヨセフの手にゆだねたので、彼はそこでするすべての事をおこなった」
(創世記39:22)
とあります。
これは、獄屋番の仕事を肩代わりさせられ、強制労働させられたのではありません。
ヨセフはポテパルの家でしたのと同じことを獄中でも行っていたのです。
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かつでポテパルはヨセフの働きぶりとその忠実さを認め、と同時に、
「主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た」
(創世記39:3)
ので、
「彼はヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねた」
(創世記39:4)
のです。
ヨセフはその時と同じ生き方を獄中でも行いました。
管理者のニードはどこでも同じで、それを満たす働きをする人を管理者は求めています。
ヨセフはそのニードにピタリと当てはまる人でした。
彼は獄屋番からその有能さと忠実さを認められ、
「獄屋番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった」
(創世記39:23)
という、ポテパルの時と同じ状況になりました。
しかし、その背後には主なる神の存在があったことを忘れてはなりません。
聖書は、
「主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた」
(創世記39:23)
と言っています。
この点を忘れずに生きる時、私たちはヨセフと同じ恵みを受けるのです。
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裏表なく、忠実に生きる時、神はどこかで恵みを垂れて下さいます。
そのことを信じ、今日の一事に全力を尽くして参りましょう。
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