今日のみ言葉【No.1138】(2015年 9月24日)

見よ、この地はみなあなたの前にあります、あなたが良いと思い、正しいと思う所に行きなさい。
(エレミヤ40:4)

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「いのちが大切、あなたはもっと大切」

これはトータル・カウンセリング・スクール2016年版パンフレットのキャッチコピーです。

「いのち」以上に大切な「あなた」という存在にかかわり続けるという明確な意志が感じられます。

何を最も大事にするのかということが定まっていると、進む方向は自明であり、即座に選択ができるようになるものです。

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エレミヤ自身がまさにそれでした。

イスラエルの民はバビロンに捕囚されましたが、全員が連れて行かれたのではありません。

補囚されたのは役に立つと思われた人々だけです。つまり、頭脳優秀な人々、肉体的に強くて働けそうな人、貴族、技術者たちです。

エルサレムには最下層の貧民たちが残され、その土地で得られる収穫物で命をつなぐ年月がその後続くこととなります。

エレミヤも捕らえられました。

ところが、バビロンに連れて行かれる途中、彼の言葉とその働きを知る侍衛の長ネブザラダンの目に止まります。

ネブザラダンはバビロニア側の人間で、エレミヤの預言が皆その通りに実現したことを知っていました。

そこで彼は、神の人エレミヤへ尊敬の念を抱き、2つの選択肢を示します。

(1)バビロンに行く場合は、厚遇します。

(2)バビロンに行かない場合は、釈放し、自由にします。

これが、

「見よ、この地はみなあなたの前にあります、あなたが良いと思い、正しいと思う所に行きなさい。」
(エレミヤ40:4)

という今日の聖句の所です。

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異国の地ながら衣食住の安定した生活を選ぶのか、戦火で荒れ廃れたとはいえ、慣れ親しんだ土地で貧しい人々と共に残るのか。

エレミヤは第3の選択の、神に仕える道を選びます。

彼の選択の基準は、自分にとって得かどうかという自分中心のものではなく、神が語られたことに従うという神中心のものだったのです。

神に従ったら安全であり、命の保証だけは常にある…、というものでもありません。

むしろ、信仰を持っているがゆえに命の危険に瀕した江戸時代の切支丹(キリシタン)など、全世界にそのような例は枚挙に暇がありません。

エレミヤはネブザラダンから「糧食と贈り物」をもらい、解放された後、当たり前のように

「そこでエレミヤはミヅパへ行き、アヒカムの子ゲダリヤの所へ行って、彼と共にその地に残っている民のうちに住んだ。」
(エレミヤ40:6)

とあります。

バビロンに住むのでもなく、エルサレムに住むのでもなく、神と共に住む。

ここに迷いのない人生の道があります。

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星野富弘さんの詩に、「いのちより大切なもの」という作品があります。

 いのちが一番大切だと
 思っていたころ
 生きるのが
 苦しかった

 いのちより
 大切なものが
 あると知った日
 生きているのが
 嬉しかった

この詩が作られたのは1986年。そしてこの詩が発表されて以来、

「いのちより大切なものとは何ですか?」

という質問が多く寄せられました。

ところが、ある時からパタッとこの質問が来なくなったといいます。

2011年3月11日からです。

自分のいのち以上に大切なもののために、自分のいのちを犠牲にした方々の死を目の当たりにして、答が自ずから分かったからなのではないでしょうか。

もちろん「いのち」は大切なものですから、簡単に「死ぬ」という選択をするということは正解ではありません。

しかし、自分のいのち以上に大切なものがある、ということがはっきりしていれば、選ぶ道はスポットライトが当てられたように明白になっていくのです。

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最も大切なものとは何かを明確にし、「あなたが良いと思い、正しいと思う所」へと邁進する一日として参りましょう。

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