今日のみ言葉【No.1137】(2015年 9月19日)
あなたがわたしに寄り頼んだからである
(エレミヤ39:18)
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2014年、広島市の八木地区で土石流が発生し、多くの犠牲者を出しました。
この水害以来、古い土地名が注目され始めています。
なぜなら、この八木地区の昔の地名が、「八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあしだに)」だったからです。
先人は、「川が蛇のように流れ落ちる水害の起こる地」という意味で、子孫たちに警鐘を鳴らし、地名として残していたのでしょう。
古(いにしえ)の人たちの知恵に学び、その教訓に寄り頼むことは、私たちの命を安全に保つ道でもあります。
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エレミヤ書第39章はエルサレム陥落の章です。
ここでは対照的な二人の人物の処遇が記されています。
ゼデキヤ王とエチオピア人エベデメレクです。
ゼデキヤを始めとする戦争推進派の人々は、負け戦だとわかると、多くの民を犠牲と混乱に巻き込んだ責任を負わず、逃げ出してしまいます。
しかし、間もなく捕らえられ、最後は悲惨な目に遭います(5〜7節)
一方、エレミヤを水牢から救いだしたエベデメレクには、
「その日わたしはあなたを救う。あなたは自分の恐れている人々の手に渡されることはない。」
(エレミヤ39:17)
との神の言葉が下され、命が守られます。
その理由は、
「あなたがわたしに寄り頼んだからである」
(エレミヤ39:18)
というものです。
またエレミヤも敵のバビロン軍から厚遇を受けます。
神の世界は単純です。
神は、神に寄り頼む者を救います。
最初から神に選ばれていたユダヤ人であろうが、救いには縁遠かった異邦人であろうが、分け隔てはありません。
途中経過はいろいろありますが、最後には救いが待っているのです。
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教会のSさんご一家はクリスチャンホームです。
最初は教会に英語を習いに来た娘さんが洗礼を受けたいとご両親に言われました。
毎週日曜日、礼拝に出るということは、家族の一致を重んずるお父さんにとって許しがたいことでした。
「家族と神様とどっちが大事なんだ!」
と娘さんが信仰を持つことに大反対だったのです。
しかし、娘さんの気持ちを理解したお母さんが共に洗礼を受けられ、その後、他のお子さんも次々とクリスチャンになられました。
お父さんは徐々に神の愛に触れるようになりました。
やがて、仕事上の重要な責任を負っている自分の力の限界や、他人には見せない自分の罪を示され、キリストを救い主として受け入れる決心をされました。
米沢興譲教会ではキリスト教の体験談を「証し」と呼んで、毎週の礼拝プログラムの中にありますが、そのお父さんの証しでは、
「あの時はずいぶんと恐ろしいことを平気で言っておりました。」
と述懐なさるほど厚い信仰の持ち主となられました。
そして、一番の迫害者で、一番最後に洗礼を受けたお父さんが、住み慣れた家で、家族に見守られながら、一番最初に天国に凱旋していかれたのです。
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神に寄り頼む一日々々を送って参りましょう。
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