今日のみ言葉【No.1136】(2015年 9月18日)

どうか、わたしがあなたに告げた主の声に聞き従ってください。そうすれば幸を得、また命が助かります。
(エレミヤ38:20)

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「東京タワーには真下が見える透明の窓がある」

と教えてくれた牧師がいました。

彼は伝道の意欲が落ちてくると、展望台のその頑丈なアクリル板の足元窓の場所に行って、「エイ!」という思いで下を見るのだそうです。

すると、クラクラっと目もくらむような光景が!

「地獄に落ちる人はこういう気持ちで落ちるのだ。人々を天国へと救うために勇んで伝道せねば!」

と気持ちを新たにして教会に戻るのだそうです。

何とも妙なモチベーションの上げ方だなあ、と私は感じましたが、その先生の神に従って伝道する姿勢と努力には学ばされました。

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神に聞き従うかどうかの差異が圧倒的に現れているのがエレミヤ書第38章です。

エレミヤは神から与えられた預言を語ることをやめませんでした。

しかしその内容が、降伏すれば命が助かる、というものだったので、バビロン軍に対し自ら戦っている者たちからすれば反逆者です。

これをのさばらせておけば民全体の士気をくじく、と判断した彼らは、

「エレミヤを捕え、監視の庭にある王子マルキヤの穴に投げ入れた。」
(エレミヤ38:6)

という行動に出ます。

井戸の中に綱で吊るされて落とされたのです。

「その穴には水がなく、泥だけであったので、エレミヤは泥の中に沈んだ。」
(エレミヤ38:6)

神の言葉に従う者には、このような不条理な苦難が時として襲います。

神に従っていれば、自分に都合の良いことが次々と起こり、安泰な生活を送ることができる…、とは限りません。

従うゆえの苦しみも同時に起こり得るのです。

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このエレミヤとは対照的に、自分に都合の良い神の言葉を語ってくれ、と望んだのがゼデキヤ王でした。

彼の生き方は、王という公の立場にある人間にはふさわしくないものでした。

彼が考えていたのは、イスラエルの民ではなく、自分のことだったのです。

そしてエレミヤに期待したことも、自分が苦労しないで安泰な生活ができるように神の言葉を語ってくれ、というものでした。

右や左に揺れる不安定なゼデキヤに対して、神に服従するゆえの苦しみをストレートに味わったエレミヤの言葉は揺るぎません。

「どうか、わたしがあなたに告げた主の声に聞き従ってください。そうすれば幸を得、また命が助かります。」
(エレミヤ38:20)

ここに決定的な差があります。

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あなたにはあなたなりの神への従い方があります。

エレミヤが語る「そうすれば幸を得、また命が助かります」という選択をする今日として参りましょう。

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