今日のみ言葉【No.1121】(2015年 9月 2日)

彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
(エレミヤ24:7)

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山形県の特産物といえば、さくらんぼです。

国内の収穫量の4分の3を占めていますから、さくらんぼ王国と言っても過言ではないでしょう。

良いさくらんぼを実らせる畑の特徴は、表面の土の下が岩だらけの地層です。

つまり、植物に必要なはずの水分が豊かに無い土地の方が、さくらんぼ育成に向いているのです。

一つめくれば石だらけの地面の上に、あの真っ赤な甘いさくらんぼの実がなる自然の不思議さを思います。

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エレミヤ書第24章では2つのいちじくの話があります。

良いいちじくと悪いいちじくです。

これはバビロンに捕囚された人々とイスラエルに残った人々を、たとえとして表現したものです。

当然のことながら、悪いいちじくとは裁きを受けた方、つまりバビロンに捕囚されていった人々のことを指しているように思われます。

そうすると、捕囚されずにイスラエルに残った人々は、裁きを逃れられたのですから、良いいちじくにあたるように思われます。

しかしエレミヤは全く反対のことを言い残しました。

バビロンに移された人々のほうが良いいちじくで、残った方が悪いいちじくだというのです。

その差は何でしょうか?

こう記されています。

「彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。」
(エレミヤ24:7)

環境がどうあろうと、今まで自分がなしてきた過去がどうあろうと、神のもとに立ち返る心があれば、神は私たちを良いいちじくとして扱って下さるのです。

「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」
(エレミヤ24:7)

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だからと言ってバビロン捕囚のほうが楽だった、というわけではありません。

補囚の民の生活は苦労の連続でした。

「バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が 歌をうたえと言うから わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして 『歌って聞かせよ、シオンの歌を』と言うから。」
(詩篇137:1-3)

しかし彼らは、神の与える試練によって磨かれ、数十年後に故国イスラエルに帰還した時には、どんな反対や妨害に遭っても挫けずに国を再建する実力を備えた者へと成長し、変えられていったのです。

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現在の状況で自分を判断してはいけません。

逆境にあり、試練の中にあるから、自分は神の裁きを受けている悪いいちじくだ、というわけではないのです。

「彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。」
(エレミヤ24:7)

この心があるかどうか。その一点で決まります。

神の御心を選ぶ方に心を定めた瞬間から、

「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」
(エレミヤ24:7)

との御言葉が発動します。

生活の苦しさは相変わらずかもしれません。

しかしその人は、良いいちじくとして成長させて下さる神の御手の働きを実感しながら、将来の確かな収穫を保証された人生を味わっていけるのです。

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主の御手の中で生きる幸いを味わう一日として参りましょう。

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