今日のみ言葉【No.1106】(2015年 8月12日)
誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。
(エレミヤ9:24)
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今日の聖句では、
「わたしを知っていること」
すなわち、神を知っていることを誇りとしなさい、と語られています。
その直前の23節では、
「知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はその力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。」
(エレミヤ9:23)
と、人間が自分の持っている知恵や力や富を誇ることを戒めています。
本来、知恵も力も富も、それ自体、何も悪いものではなく、持っていて差し支えありません。
誰よりも神御自身が、
「われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。」
(詩篇147:5)
と、それらのものを持っておられ、また、求める者に分け与えようとされるお方だからです。
「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」
(ヤコブ1:5)
「神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。」
(第2コリント9:8)
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しかし、エレミヤのこの時代は不正がはびこり、「いつくしみと公平と正義」が欠けていた時代でした。
現代社会でたとえるなら、
・何十年もかけていた年金がシステム上のミスでもらえなくなった
・預金していた銀行が倒産する
・個人情報が勝手に使われていた
という世の中に生きているということです。
社会システムに信頼を置けない状況なら、個人は自分で自分を守る方向に進みます。
とすれば、自分の知恵、力、富にしか信頼を置けません。
当時のイスラエル社会がそのような方向に流れていくことをエレミヤは正確にとらえ、神の御心を指し示したのです。
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人間が誇りとすべきことは、「わたしを知っていること」すなわち、神を知っていることです。
これはさらに正確に言えば、「神から御自身を示され、知らされていること」です。
私たちは自分で神を信じたように思いますが、実は信じさせていただいているのです。
信仰が与えられている、とはそのようなことを言います。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」
(ヨハネ15:16)
神を信じたいのに信じることができない人々がいる中で、自分は神を信じているという現実。
神を信じられる理由は山ほどありますが、信じられない理由も同じ程度山ほどあります。
その中で自分が神を信じているというのは、信じさせていただいているとしか言えません。
この世の中には、
「いつくしみと公平と正義を行っている者」
がいるよ、と神が御自身の姿を表して下さり、それを信じてこの世を生きることのできる幸いは誰でも味わうことができるのです。
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神に知られ、神を信じさせていただいている恵みの中を、今日も歩んで参りましょう。
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