今日のみ言葉【No.1082】(2015年 7月 9日)

彼らは喜びと楽しみとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
(イザヤ51:11)

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イザヤ書第51章には、主の慰めが書かれています。

バビロンにとどまった多数派と、バビロンからエルサレムに帰還した少数派。

どちらが神の御心を行った者かといえば、後者であるのは明白です。

ただし、神の御心を選び取れば、その後の人生は楽々と進み、御心に従わない者たちは試練を味わう…、かというと、そうとは限りません。

むしろ、その逆のケースを目にして、私たちは驚き怪しむことでしょう。

御心に従った者には苦しみが待っています。

なぜなら、それは自分たちのために生きるのではなく、次世代の人々の祝福のために自分を犠牲とする生き方だからです。

「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
(ヨハネ12:24)

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現実の苦難にさらされた人々へ、主は慰めを語ります。

「主にあがなわれた者は、歌うたいつつ、シオンに帰ってきて、そのこうべに、とこしえの喜びをいただき、彼らは喜びと楽しみとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」
(イザヤ51:11)

必ず喜びと楽しみの日は来る。

それは気休めでもまやかしでもない。

本当にその日が来る。

神はそのことの保証として、

「今までもそうだったでしょ」

とアブラハムの例を出しています。

「あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラとを思いみよ。わたしは彼をただひとりであったときに召し、彼を祝福して、その子孫を増し加えた。」
(イザヤ51:2)

アブラハムという一人の人から、今や何万人というイスラエル民族になりました。

しかも、アブラハムとサラは老年となり、この二人から子どもが生まれる可能性などゼロのところからイサクが生まれ、命がつながれ、子孫が増していったのです。

まさに、

「無から有を呼び出される神」
(ローマ4:17)

が共におられ、導いて下さる。

だから、今は肯定的要素が何も見えない状況であっても、神はそこに

「喜びと楽しみとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る」

状況を創り出して下さる、と御心に従ってエルサレム帰還を果たした人々に、慰めと励ましを語り、約束の確かさを保証しておられるのです。

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同じ神様が私達と共におられます。

主の慰めが注がれることを信じて、自分以外のどなたかのために犠牲を払う一歩を踏み出して参りましょう。

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