今日のみ言葉(2011年7月25日)【No.127】
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心
の楽しみとなりました。」
(エレミヤ15:16)
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み言葉は霊の糧です。
み言葉を食べるとは、聖書の言葉をただ字面を読んで終わるのではなく、深く黙想し、じ
っくりと味わうことを言います。
それは特別難しいことを自分に課すことではなく、イエスの母マリヤのように「思いめぐ
らす」ことです。
「しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。」
(ルカ2:19)
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インスピレーション(霊感)という英語はinspireという語から来ています。これは、
in(〜の中に)+spire(吹き込む)
です。
つまり、インスピレーション(霊感)は自分で努力して獲得するものではなく、神様が私
たちの内に自由に吹き込んで下さるものなのです。
「インスピレーションを受ける」とか「インスピレーションが来た」と言うように、それ
は極めて受け身的なものです。
ちょうどテレビのスイッチを切っても微弱な電流が流れていて、次にスイッチが押された
時すぐに画面がパッと出るように、霊の待機電力は切らないでいることです。
み言葉を思いめぐらしていると、ある時ポンと神の思いが心に生き生きと映し出されるの
です。
聖書にふれることによって御言葉が心に貯えられ、それはやがて自分も周りをも生かすエ
ネルギーとなり、意図せず行う愛のわざとして現れてきます。
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教会学校に通う小学生のA子さんは、お店の看板が強風のため倒れているのを見つけまし
た。
傷ついた旅人を助けてあげた良きサマリヤ人のお話が心にさっと浮かんできました。
「起こしてあげようか、でも見られたら恥ずかしい…。」
彼女の小さい心は悩みに悩みました。
そのあげく、とうとうその脇をスッと通り過ぎてしまいました。
しばらく歩いてから、「誰か立ててくれたかな」と期待を込め、恐る恐る振り返ると、後
から来る大人も同じように通り過ぎるばかり。看板は倒れたままです。
意を決してA子さんは戻り、看板を立ててあげました。彼女の心の中にさわやかな風が吹
き渡ったのは言うまでもありません。
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御言葉を与えられ、味わう一日として参りましょう。
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