今日のみ言葉【No.1017】(2015年 4月 7日)
だれがその身の後に、日の下に何があるであろうかを人に告げることができるか。
(伝道の書6:12)
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日本三景の一つに宮城県の松島があります。
この場所を訪れた松尾芭蕉が、その風景のあまりの美しさに、
「松島や ああ松島や 松島や」
と詠んだという逸話がありますが、実際は後世の狂言師の田原坊の作なのだそうです。
ただ、あまりの絶景に言葉を失い、あの芭蕉ですら、なかなか句が出なかったことは確かなようです。
単なる「松島や」の繰り返しの句が、芭蕉作だと信じてしまうのも無理はありません。
圧倒的存在の前では、人はそれを表すのに一つの言葉しか出ないのです。
伝道の書では、それは「空(くう)」という言葉です。
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伝道者は第6章で人の幸福を追求します。
しかしどれも幸福につながらず、彼の結論は「空しい」の一語に尽きました。
平たく言えば、
「あー空しい、あー空しい。どれもこれも、何をやっても結局空しいだけだ…!」
ということです。
この世をありのまま見ていくと、
・富を持ってもその富が他人のものとなる(2節)
・長生きしてもその心に満足がなく、家族と疎遠になったので葬式も出してもらえない(3節)
・食べ物に飽き足りるほどになっても、もっともっとと欲が増すばかり(7節)
・夢や願望はかなえられない(9節)
となっています。
空しさを味わわないように、意味ある人生を生きようと目指しても、結局その先にたどり着くのは「空しさ」だったというわけです。
伝道の書第6章のまとめは、
「だれがその身の後に、日の下に何があるであろうかを人に告げることができるか。」
(伝道の書6:12)
です。
つまり、先のことは誰にもわからない、ということです。
これが先を見通そうと努めた賢者の究極の結論です。
幸福になる選択をしたようにその時点では思っても、その先はわからないのです。
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さて、ここで人間に重大な2つの選択があります。
人生の分かれ道です。
1つは、
「どうせ何をやったって空しいんだから、何をやっても意味がない。流れに身をまかせ、死を迎えるまで流されるまま生きる。それが人生さ」
と虚無的人生観を生きる道。
もう一つは、
「先のことはわからない。だから、先のことも全部お見通しの神に人生をおまかせし、神を信頼して生きる。すべては最善となるためにある」
という人生観を選択して生きる道です。
どちらを選ぶかはあなたの自由です。そして選択を保留する自由もあります。他の選択を探す自由もあります。
しかし、いつかどこかで選ばなければならないのも事実です。
神はあなたの選択の自由を尊重し、あなたの選択を待っておられるのです。
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神の御心に沿った選択を見出すことができますように…。
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