今日のみ言葉【No.995】(2015年 3月 4日)
野菜を食べて互に愛するのは、肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる。
(箴言15:17)
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私は長男なので、相続についての相談を弁護士さんにしたことがあります。
あれこれ説明を受けた後、締めくくりのアドバイスはこうでした。
「兄弟仲良く。これが一番。」
様々な事例を扱ってきた経験豊かな弁護士さんならではの貴重な一言でした。
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どんなに豪華な食事を食べられるほど豊かになっても、憎しみ合って食事を共にしなければならないのは地獄です。
粗末な食事であっても、お互い、「今日もありがとう」と感謝しながら共に食べる食卓は天国です。
家庭で食事の時をどうするかは私たちの手に任されています。
粗食でも美食でもどちらでも構わないのです。
愛を感じる時として食事ができることが最高なのです。
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仕事に追いまくられている親は、子供との接触の時間が限られてしまいます。
ですから、どうしても夕食の時間に問題・課題・しつけ・要求が持ち込まれます。
本来楽しいはずの夕食の場が、
親:「どうするんだ?」
子:「だから何?」
親:「ダメじゃないか!」
子:「いいじゃん!」
という裁判の場になってしまうことも珍しくありません。
ですから、それを嫌って、携帯やスマホをいじりながら、つまり、親の言葉を無視できるように予防線を張って食べる子もいます。
食事が済むと、さっとゲーム機を取り出してその世界に熱中したり、あっと言う間に自分の部屋に姿を消す子もいます。
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問題は問題。それは食事とは切り離します。
問題は神様におゆだねして、食事の時は
「野菜を食べて互に愛する」
ことに徹底しましょう。
「優しい舌は命の木である」
(箴言15:4)
とあるように、食事の際の愛ある会話は人の心に命をもたらします。
そのような中にあって、子供の方からポツリと自分が気になっていることを話してくれるものです。
親に言っても傷つけられない、責められない、直されないと知り、安心できるからです。
充実した親子関係は、そのようなことをきっかけにして始まっていくのではないでしょうか?
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愛ある食卓を築く一日として参りましょう。
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