今日のみ言葉【No.736】(2014年 1月14日)

主はヨシャパテと共におられた。
(歴代志下17:3)

-*-*-*-*-*-*-

今日の聖句の

「主はヨシャパテと共におられた。」

のヨシャパテのところを自分の名前に入れ替えて読んでみてください。

主が私と共におられるとはなんと素敵なことでしょうか。

-*-*-*-*-*-*-

その理由は何かが明白に語られています。

「彼がその父ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、 その父の神に求めて、その戒めに歩み、イスラエルの行いにならわなかったからである。」
(歴代志下17:3-4)

バアルとはカナンの地に元々あった偶像神です。

ヨシャパテはアブラハム、イサク、ヤコブに現れた先祖代々の真の神を信じ、その道に歩みました。

すると次のような好循環が得られたのです。

「それゆえ、主は国を彼の手に堅く立てられ、またユダの人々は皆ヨシャパテに贈り物を持ってきた。彼は大いなる富と誉とを得た。」
(歴代志下17:5)

神を愛し、神に愛される理想的な関係がここには描かれています。

-*-*-*-*-*-*-

さて、贈り物をもらえるから神を信じるのでしょうか?

最初はその動機から入っても差し支えありません。

現実には私も含めて、

「信じればいいことが起きる!」

「【お陰】があるから」

「神様が問題を取り除いてくれますように…」

という御利益(ごりやく)信仰でスタートする人が多いのではないでしょうか。

入り口はそこから入っても良いのですが、やがてどこかで路線変更をしないと、とんでもない目的地にたどり着いてしまいます。

人間の欲が

「頑張ってもっと信じれば祝福が得られる」

「苦労して犠牲を払った方がより祝福は大きい」

とエスカレートさせるからです。

バアル信仰の行き着く先は、「人身御供(ひとみごくう)」でした。

誰かを殺し、その命を生け贄とし、代償として祝福を得る、というところまで行ってしまうのです。

-*-*-*-*-*-*-

では、ヨシャパテの信仰とは何でしょうか?

それは、約束の神を信じる信仰です。

アブラハムに

「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」
(創世記12:2)

と約束された神を信じて生きることです。

祝福の成就の土台は契約・約束ですから、人の頑張りや犠牲ではありません。

自分が祝福されるので、その祝福を周りの人にも味わってもらおうとして、頑張ったり犠牲を払ったりするのです。

それは、

「犠牲を払って喜びを得る」

生き方ではなく、

「喜んで犠牲を払う」

生き方となります。

-*-*-*-*-*-*-

神の祝福の約束を今日もしっかり心につなぎ止めて参りましょう。

-*-*-*-*-*-*-

●配信停止は下記に空メールを送信して下さい。
del@mikotoba.org

●お申し込みも同様です。
reg@mikotoba.org