今日のみ言葉【No.988】(2015年 2月24日)
わたしは正義の道、公正な道筋の中を歩み、わたしを愛する者に宝を得させ、またその倉を満ちさせる。
(箴言8:20-21)
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スマホを初めて使う方のために、基本的な使い方を教える機会がありました。
熱心に「これはどうするのか?」と質問される方でしたが、最後に私は
「これ以上私に質問しないで下さい」
と言いました。
冷たい言葉でしょうか?
いいえ、これは、「魚を求める人に魚の釣り方を教える」ということなのです。
「私は常にあなたに答えられるわけではありません。でも、いつでも答えてくれる存在があります。それがあなたが今手にしているスマホです。」
と言ってから、インターネットで検索する手順を教えさせていただきました。
これでその方は、自分にわからないことがあっても、すぐ答を見つけ出すことが出来るようになりました。
求めたら、必要な知識や知恵はすぐ与えられる時代に私達は生きているのです。
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箴言は聖書の中では「文学書」として分類されています。
第8章では擬人法が用いられ、知恵があたかも人であるかのように語ったり振舞ったり、という表現で知恵の大切さを説いています。
今日の聖句では、「わたし」すなわち「知恵」を愛する者には、
「宝を得させ、またその倉を満ちさせる。」
とあります。何と素晴らしいことではないでしょうか。
しかも、
「わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。」
(箴言8:17)
とまで保証されています。
「知恵」は自分が求められることを熱望しているのです。
旧約聖書でソロモン王は知恵を求め、神は知恵を与えただけでなく莫大な富も与えられました。
新約聖書でも
「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」
(ヤコブ1:5)
とあります。
神様は「とがめもせずに惜しみなく」与えて下さいます。
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ただし、知恵を求めて出会うには、知恵がいる所に求めに行かなければなりません。
「わたしは正義の道、公正な道筋の中を歩み」
とありますから、私達を生かす知恵を得るためには、私達も「正義の道」を歩いていなければなりません。
つまり、知恵を求める目的が私腹を肥やすためではいけない、ということです。
神が与える祝福を他者のために用いていこうとする時、神様は惜しみなく祝福を与えて下さり、知恵を与えてくださるのです。
すなわち、人が愛によって行動する時、神はその人に愛ゆえの知恵を与えてくださるということです。
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卒業シーズンの今、街のあちこちで派手なキャンペーンを目にします。
携帯電話の会社はどのショップも新しくスマホを購入するお客さんを得ようと一生懸命です。
Aさんも高校に入るわが子のためにスマホを買おうと思いました。
しかし自分は従来のガラケー派なので、スマホが何たるかがさっぱりわかりません。
各ショップを回って話を聞いてみるのですが、当然のごとく「こんなに良いことばかりです」というメリットしか話してもらえず、今ひとつ納得ができませんでした。
「どうしたらいいだろう?」
と知恵を求めるAさんに、神様がささやかれました。
「利害関係のない第3者の立場にいる人を探せ」
はっと思い出したのが、その方面に詳しそうなあの人です。
早速行って聞いてみました。
地域最安店のお得な情報でも得られたのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
話をしている内に、わが子のために何が良いのか、親としてどういう心構えをしたらいいのか、という点で納得できたのです。
払うべきものは払い、何のためにその犠牲を払うのか、その意味が明確になり、更にお子さんとの今後の親子関係もこうして行こうという決心がついたのです。
まさに神は「正義の道、公正な道筋」へと導いて下さり、「わたしを愛する者に宝を得させ」という御言葉通りに、人間関係も経済的にも豊かな祝福を与えて下さいました。
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誰かを愛するために知恵を求めて行きましょう。
神はあなたに惜しみなく知恵を注ぎ、祝福を与えて下さいます。
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