今日のみ言葉【No.929】(2014年11月 1日)
「彼らが主に呼ばわると、主は答えられた。」
(詩篇99:3)
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エボラ出血熱の感染を防がなければならないと、今、全世界の国々が真剣に取り組んでいます。
感染した患者は厳重に隔離され、医療チームもウィルスとは絶対に接触しないように留意して治療に当たります。
「主は聖でいらせられる。」
(詩篇99:3)
という今日の聖書個所で何度も繰り返されている言葉のようです。
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詩篇第99篇で使われている「聖」というヘブル語は、病院の中の無菌室状態のようなイメージではありません。
ここでの「聖」とは、「隔てる」というイメージです。
神は悪と手を結ばず、完全に隔絶された存在として私たち人間の前におられます。
ですから、人間の側から手を出すすべはありません。
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しかし一方、
「彼らが主に呼ばわると、主は答えられた。」
(詩篇99:3)
とあります。
神は、呼べば答えてくださる方なのです。
ここに
「全く隔てられて手が届かない存在」
の神なのに、
「呼べば答える存在」
の神ですよ、と証しする3名の人物が登場しています。
モーセとアロンとサムエルです。
彼らの特徴は、民のためにとりなす「祭司」の働きしたことでした。
誰かの救いのために祈る時、そんな祈りなど全く聞き届けられないかのような現実を目の前にしていたとしても、
「彼らが主に呼ばわると、主は答えられた。」
(詩篇99:3)
という神のわざを見させていただけるのです。
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Aさんはまじめで一本気なお母さん。曲がったことが大嫌いです。
その性格のお陰で「聖なる神」の概念がスーッと入り、家族の中で最初にクリスチャンとなりました。
娘はお母さんの性質を受け継いで、勝気なヤンキー娘でした。
当然、最初は「キリシタン」になったお母さんの言葉に反発していました。
しかし、今までとは違って愛が加わり、変化していく母親の姿に不思議さを覚え、彼女も教会に行きだし、とうとう洗礼を受けてクリスチャンとなりました。
最後に残ったのはAさんのご主人です。
彼は昭和に生きた昔気質の男性です。
教会に行くことなど全く念頭にありません。
むしろ、
「俺はお前たちが教会に行くことを許してやっているんだぞ」
という上から目線の態度です。
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Aさんと娘さんはお父さんの救いのために祈りました。
やがてその時が来ました。
ご主人は体調を崩し、病院に入院し、余命僅かの状態だと告げられたのです。
もちろんAさんは病の癒しを祈りました。
しかし、その祈りは聞かれませんでした。
けれども、別の祈りは聞かれたのです。
あのキリスト教に反対していた強気なご主人が、妻と娘のとりなしの祈りを聞かれる神の力により、まもなくイエス様を受け入れ、洗礼を受けられたのです。
私は彼の葬儀を司式させてもらいましたが、挨拶に立った娘さんの
「うちのパパがクリスチャンになったのだから、世界中でクリスチャンにならない人などいるはずがありません。」
という力強い言葉を忘れることができません。
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神は祈りを聞かれるお方だと心に堅く信じ、今日も神を信頼し、祈りの生活をして参りましょう。
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