今日のみ言葉【No.3783】(2025年11月22日)「生活の処方箋(275)『恵みによって』」

しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。
(第1コリント15:10)

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長年、人との関わりを果たしてこられたAさんが、しみじみとおっしゃいました。

「自分は、人の心を十分に理解し、忍耐深く寄り添うことができないことを知らされた」

と。

何と素晴らしいことでしょう。

物事に挑戦してみないと、自分にできるのかできないのか、また、その世界の奥深さを知ることはできません。

すべての世界は、やればやるほど、極めれば極めるほど、真理の深さ、尊さ、素晴らしさに圧倒され、自分の小ささを知るものです。

自分が不十分だとわかった時はじめて、足元に多くの宝があるのを発見します。

日々の歩みで失望する時、それは無尽蔵の世界に気づかず、目を開かなかったことに焦点を合わせる時です。

我力で「やればできる」という小さな世界から、「させていただいている」という、180度の方向転換こそ、すべての世界に祝福をもたらす秘訣です。

(※田中信生の『生活の処方箋』より)

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使徒パウロは、

「神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」
(第1コリント15:10)

と、神の恵みによって今の自分は生かされていると語っています。

しかし、聖書の記述を見ると、パウロは働き者です。

例を挙げれば、

「あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ」
(使徒20:34)

「人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた」
(第2テサロニケ3:8)

とあるように、パウロは信徒たちに負担をかけさせまいと、自分の働きで生活費を稼ぎ、伝道活動をしていました。

しかし、誰よりも多く働いてきたのは、

「わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである」
(第1コリント15:10)

と断言しています。

彼は、「自分の力で成し遂げたのだ」と誇ることをせず、「神の恵みによってさせていただいたのだ」と述べているのです。

これは、「やればできる」という自己肯定から、「恵みがむだにならないように」という感謝と謙遜に基づいた180度の方向転換の行動です。

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神の恵みに目を開き、感謝をもって今日一日を歩んでまいりましょう。

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