今日のみ言葉【No.1500】(2017年 3月24日) 073 「生まれつきの盲人」(4)

しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。
(ヨハネ9:9)

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聖書は公の場で読まれることを前提としていますから、婉曲な表現で書かれています。

たとえば、サウル王がダビデを追跡中に、

「そこに、ほら穴があり、サウルは足をおおうために、その中にはいった。」
(サムエル記上24:3)

とあるのは、洞窟をおトイレ代わりに使った、ということで、寒かったので毛布で足を巻いて暖を取った、ということではありません。

ですから、「!」や「?」というような感情を表す記号はありません。

「イエスは涙を流された(;_;)シクシク」などと絵文字や顔文字が使われることもありません。

聖書を読む時には、登場人物の気持ちを想像しながら読むと、更にまた深い意味がわかってきます。

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目が見えるようになったこの人に対して、近所の人々は、テレビのワイドショー的、興味本位のゴシップ記事的に取り扱っています。

彼はそのような人々に対して、堂々と「わたしがそれだ」と答え、真実をありのまま告げました。

「しかし、本人は『わたしがそれだ』と言った。」
(ヨハネ9:9)

実際には、生まれて初めて「見える」という体験をした直後なのですから、冷静客観的に言ったとは考えにくいでしょう。

おそらく、

「それ!それ!それ、私!私のこと!」

という感じで、興奮気味に彼は語ったのだと想像されます。

次に彼が言った

「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい。』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
(ヨハネ9:11)

という言葉も、とても冷静客観的な報告のように書かれていますが、ここはきっと山形県出身のお笑い芸人ウド鈴木さん的に言ったと想像した方が近いと思います。

「あのね、あのね、イエスっていう方がね、泥を作って、いきなり私の目に塗ったんだよ!ビックリしたー!」

「そして、『シロアムの池に行って洗いなさい』って言うもんだから、最初『ウソ?!』って思ったんだけど、私、行ったの。行ったんだよ、あの暑い中!途中3回ころんだけど、めげずに行った!」

「そしてシロアムの池の水で目を洗ったら、なんと、見えるようになったんだ。やったー\(^o^)/!!」

とまあこんな感じになるのではないでしょうか。

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この段階では、彼は自分のことしか語っていません。

それはそうでしょう。今まで周りが見えなかったのですから、自分の感じる世界からしか話せないのは当然です。

私たちも同じです。

「私が雨の日も雪の日も教会に行ったから良くなった」

「眠かったのに必死で起きて礼拝説教を聞いたからわかった」

これは自己中心ということではなく、それしか見えないからそう見えるのです。

それで良いのです。

人間は全て、そこをスタートラインとします。

そこから神は私たちを更に大きな視野へと導いていかれます。

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まずイエス・キリストとの出会いを自分の視点から語ってみる。

神はその人を必ず次の段階へと導いて下さいます。

自分の今いる位置で、正々堂々と神を語る今日として参りましょう。

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