今日のみ言葉【No.923】(2014年10月25日)
主は王となり、威光の衣をまとわれます。
(詩篇93:1)
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ある火災保険会社の方が意外な話をして下さいました。
「山形県米沢市ですか?当社の保険金支払額の第1位は火事ではありませんねえ。」
火災保険なのに火災は第4位だと言うのです。
では1位〜3位は何でしょう?
米沢市という地域性から考えると、正解はすぐお分かりになりますね。
そうです、1位は
「雪害」
です。
以下、
2位「風害」、3位「雷害」
と続きます。
「地震は?」
と思う方もいらっしゃるでしょう。
地震は特別なので、地震保険というものが別にあり、火災保険では賄われません。
いずれにしても、地震、雷、火事、台風、大雪、竜巻、津波、噴火等々、自然災害は当然あるものとして備えの生活をしなければなりません。
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このような揺れ動く世でありながら、
「まことに、世界は堅く立って、動かされることはありません。」
(詩篇93:1)
と聖書は語ります。
それは今日の聖句の
「主は王となり、威光の衣をまとわれます。」
(詩篇93:1)
とあるように、
「神」を私の「王」となすからです。
神の力におまかせする時に、人間の力ではどうしようもない出来事が、神のご計画の中で意味ある出来事へと変えられていきます。
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ただし、
「神」
を
「王」
とすることは、すなわち、
「私」
を
「従」
とすることです。
自分の思いを神様に訴えて良いのですが、
「私の考えが最も良いのですから、これ以外ありえません。ちゃんとやって下さいね!」
とゴリ押しすることはできません。
祈りを通して神に願う時、神は全ての祈りを聞いてくださっていますが、どうするか決定するのは神の側の判断です。
人間はどこかで、
「自分の思いは必ず通る」
いう段階から卒業して、神の思いを受け入れ、それに従う、という段階に成長していかなければなりません。
それは自分を殺して生きるかのような印象を受けますが、実はそれこそが自分を生かし、
「まことに、世界は堅く立って、動かされることはありません。」
(詩篇93:1)
という人生を歩むことになるのです。
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米沢興譲教会で献身する人たちは、このような神の試験を受けます。
ある人が牧師から「お金を捨てられるか?」という問いに対して、「当然です」という顔をしました。
(若いうちは貧乏でお金の存在感が希薄ですから、いともたやすく「捨てる」と言えるのです。)
「では家族を捨てられるか?」にも、「私がここにいることが答えです」としたり顔で返答しました。
(まだ家族持ちでないので現実感が乏しいのです。)
次に牧師が
「好きな人と結婚できないかもしれないよ」
と言った瞬間、彼の顔が曇りました。
「いや、それだけは…」
本音に突き当たったのです。
やがて彼は教会を去りました。
数年後、多くの経験を経て、彼は戻って来ました。
「やっぱり先生の言うことが正しかったです。またよろしくお願いいたします。」
と頭を下げ、献身の道を再び歩み始めました。
今度は自分を王とせず、神を王とする「従」の生き方を始めたのです。
やがてその姿に神を見、志を同じくする女性が現れ、良き結婚生活が与えられたことは言うまでもありません。
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主を王とする生活をしているかどうか、この朝チェックし、神の堅い正道を歩んで参りましょう。
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