今日のみ言葉【No.891】(2014年 9月16日)
あなたの翼の陰にのがれさせてください。
(詩篇61:4)
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私が生まれ育った米沢市は豪雪の地として知られています。
毎年11月の半ばに初雪が降り、3月を過ぎて4月の上旬に雪がちらつく年も珍しくありません。
ところが、ここでずっと70年〜80年を暮らしてきたおじいちゃんおばあちゃんに、
「米沢の冬は何ヶ月くらいありますか?」
と尋ねると、
「そうだなあ、2ヶ月くらいかな。冬は1月と2月だな。」
と一様に声を揃えてお答えになるのでびっくりしてしまいます。
11月は秋で、12月はまだ冬とは言えないのだそうです。
3月はたとえ周りに雪がどっさり残っていても、日差しが春の陽光をたたえているので冬ではないのだ、という感覚です。
厳しい冬の寒さの中で春を見失うのではなく、春の希望を見出す眼が培われている人間の力の凄さを感じさせられます。
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今日の詩篇の記者は、問題の渦中で苦しみ悩み、神の御手が見えなくなった状態に置かれていました。
「わが心のくずおれるとき」
(詩篇61:2)
を文字通り体験していたのです。
しかし彼はその時も
「わたしは地のはてからあなたに呼ばわります。」
(詩篇61:2)
と望みを失いません。
地の果て、とは遠い異国のバビロンだったかもしれません。
あるいは病の床で死を覚悟し、黄泉の世界を目の前にしての言葉だったのかもしれません。
信仰の祖アブラハムは、
「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。」
(ローマ4:17-18)
とあります。
望み得ないのに、なおも望みつつ信じる強さというものが、
「わたしは地のはてからあなたに呼ばわります。」
(詩篇61:2)
という祈りの中に感じられます。
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絶望の中でも希望を絶やさず、力強く生き抜いていきたいものです。
しかし、人間は常にそういう状態ばかりでいられるわけではありません。
むしろ、希望を燃やして輝く祈りを捧げられる時はほんの僅かの時間であり、残りの長い時間を苦しみと悩みの中で過ごし、うめき続けているのが本当のところかもしれません。
祈りの言葉すら唇に湧いて来ない時があるのです。
詩篇第61篇の記者にとって、
「わが心のくずおれるとき」
よりももっとどん底の、更にその先とは、
「わたしをとこしえにあなたの幕屋に住まわせ、あなたの翼の陰にのがれさせてください。」
(詩篇61:4)
です。
もう一歩も動けないので、神の御翼の陰に私を覆い隠し、このままずっと守っていて下さい、という祈りです。
地の果てのような希望のない状況の中から、信仰を持って叫びを上げる強さもなく、ただ倒れているだけの自分…。
しかしそこも神の御翼の陰なのです。
神はこの絞り出るような一滴の祈りに耳を澄ましておられます。
人間ができる究極の祈りとは、このような祈りなのではないでしょうか。
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人生の春が見えない時も、春は必ず来るのだ、と信じて生きることが大切です。
信じることが出来ずに倒れたままでいる時も、
「あなたの翼の陰にのがれさせてください」
という「つぶやき」さえ聞き逃さないでおられる神がいらっしゃることを思い、平安の中で力を受けてまいりましょう。
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