今日のみ言葉【No.892】(2014年 9月17日)
わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。
(詩篇62:1)
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ことわざは教訓として役に立ちますが、しばしば全く正反対の言葉が並ぶことに出会います。
「急(せ)いては事を仕損じる」
に対して
「先んずれば人を制す」
また、
「二度あることは三度ある」
に対して
「三度目の正直」
等々です。
各人が対面している異なった現実を観察し、その状況を分析した後で判断を下さなければならないという事でしょう。
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今日の聖句の「もだして」とは「沈黙して」という意味です。
黙って神を待つ。
それはもう何をしてもダメだから諦めきってただ神のなされることに身を任せている、ということではありません。
その逆で、神に信頼して全てを任せきった境地のことを言います。
外見は同じ沈黙でも、中身が全く逆なのです。
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ここに至る前、詩篇の記者は人間の本音・建前の二重構造に翻弄されたり、彼の今の地位から蹴落とそうとする敵意に遭ったり、様々な困難の中を通されました(2〜4節)。
その時、神の前に沈黙し、待つことが正解だと頭では分かっていても、最初からその通りにできないのが人間です。
預言者イザヤは
「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」
(イザヤ30:15)
という神の言葉を伝えました。
しかしそれを聞いた人々は、
「否、われわれは馬に乗って、とんで行こう」
(イザヤ30:16)
と、自分の力で逃げようとします。
すると、逃げなければならない方向に状況が進んでいってしまうのです。
そして、
「われらは速い馬に乗ろう」
(イザヤ30:16)
と、もっと力を入れて逃げようとします。
すると、
「それゆえ、あなたがたを追う者は速い。」
(イザヤ30:16)
と、追う者も更に速度を増して追っかけてきます。
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あなたが今、追われているように感じているなら、
「もだしてただ神をまつ」
ことがただ一つの成すべきことです。
詩篇第62篇の記者も同じ所を通らされました。
彼は逃げまわった末、神の前に全てをゆだね、沈黙して神を待つことが最善なのだ、と悟ります。
「わが救は神から来る」
からなのです。
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神の慈しみを信じ、その中に生かされている自分であることに気づきましょう。
そして神の前に静まる。
ここに真の解決の道が開かれることを実感させてもらえる一日を歩んで参りましょう。
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